買わないではいられない

あまりにもかわいそうなので、一ファイナルファンタジーファンとして買ってしまった。
コスモスとカオス、各1ケースずつ。
全部で48本!
だって1ケース980円だったんだもの(ケンコーコム)。
1本100円としたって2400円するはずのものが……懲りないサントリーである。前回のポーションだってひどいありさまだったというに……
今回、味はかなり改善され、やみくもにハーブをまぜまぜしました、な感じではなかった。グレープフルーツ味?とブドウ味?の2種。色は淡い緑と紫。

あまりにもかわいそうなので、一ファイナルファンタジーファンとして買ってしまった。
コスモスとカオス、各1ケースずつ。
全部で48本!
だって1ケース980円だったんだもの(ケンコーコム)。
1本100円としたって2400円するはずのものが……懲りないサントリーである。前回のポーションだってひどいありさまだったというに……
今回、味はかなり改善され、やみくもにハーブをまぜまぜしました、な感じではなかった。グレープフルーツ味?とブドウ味?の2種。色は淡い緑と紫。
東北芸術工科大のバカ...じゃなくてゲージツカの卵たちが、ろくでもねえ...じゃなくて興味深い、作品をニコニコ動画にのせていました。
こういう奴らがいるから、ランキング内がヘタリアやけーおんばっかりになったニコ動でも面白い! タグ「公式が病気」は安定したクオリティを誇っています。
芸術性や才能というのは「芸術」という名前がついている学校に行けば育成・開花されるのだろうか、という疑問をあたしは常々持っているが、みちのくの卵たちにはがんばってもらいたい。芸術性と現代日本で認識される学力とには相関関係がないということを、証明してもらいたいものだ。
それで思い出した。日本の最高峰の「学力」と「芸術性」を持つ学校のことを。
先日、旧奏楽堂を見たくて東京芸大を訪れたとき、日曜日ということで、学生がバッハコンサートをしていました。奏楽堂の入場料300円を払えば誰でも入れるもので、奏楽堂でバッハっつうのもいいなあ、と、若い芽を愛でてやろうという、あたしにしては珍しくあたたかい心で聴いたわけです。
これがね。筆舌に尽くしがたいほど酷かったのである。
あたしは、若干二十歳たちが弾くチェンバロとバイオリンと歌に、叙情性とか完全無欠の正確さとか求めちゃいない。魂のオーガズムを感じさせてほしいなんてこれっぽっちも期待しちゃいない。腕のない卵たちが勝負できるのは、「ぼくバッハだーいすき三度の自慰より好き!」「あたしのバッハ解釈はまだ誰にも認められてはいないが絶対将来的に世界の通説になる!」「人の前で弾けてうれしー!」という、その厨二的な勢い、想い、そういうものだけなわけで、それが聴きたかったのだ。おいおいそんなに無駄なオーラ出しちゃって、それがぜーんぶ指先にいきゃあ一流になれるのにさ、と、苦笑しながら若い音楽性ってやつを味わいたかっただけなのだ。だってチェンバロ専攻するようなヲタクだぜ?二十歳でバッハだぜ? コアなオーラを身にまとってそうじゃないか。
なのに、その場所には、なんの音楽性も、可能性のかけらも、落ちていなかった。
え、これ、稽古場公開?初見で弾いてるの?ってもんだ。一音目でガクーっときた。ねえねえ、やる気ある?
あーそうかゲーダイいくような卵たちはお上品すぎて、人前でパフォーマンスすることに狂喜乱舞したりなんかしないのねおうちでおさらいするときのようにサラリとお弾きこなしになられるのだわそうかこれが日本最高峰かあ、と、うなだれながらきいていた。
マジでたいしたことねーな。今から思えば、ハンサム学園のやつらのほうが、勢いと情熱がある。100万倍ある。
あたしはゲーダイよりもハンサムたちを応援する。20009年、早く来ないかなあ!
17年前、4年生だったあたしは、岐阜から出てきた従兄弟と伯父と、ビッグサンダーマウンテンができたばかりのディズニーランドに行きました。
前にも言った気がするが、普段は厳しい母が、この日はとても優しく、食事のときにジュースを注文させてくれたり、シンデレラの靴のガラス細工やら「リトルマーメイド」のセバスチャン人形やらを買ってくれたり、さらにはお菓子をいくら食べても怒りませんでした。
調子にのったあたしは白雪姫の缶に入ったクッキーだかチョコレートだかの詰め合わせを食べ続け、いつもならとっくに寝ている時間に帰宅した後、おもいっくそ気持ち悪くなって吐いたのでした。
それがあたしの東京ディズニーランドの思い出だ。
17年後、鼠的帝国主義と植民地化の波はさらに広まり、創世記の天地創造の如く陸だの海だのに分かれた千葉県は舞浜に舞い降りたのは雨の土曜日。だというのにヒト科はいっぱいいた。
思春期に田中芳樹「創竜伝」を読んだ人はニヤニヤするかもしれないが、始兄さんがのたまう前から、あたしは獣が二本足で歩き人語を解すのが嫌いだった。鳥獣戯画なんてイロモノでしかない。服を着せたりナイフとフォークを持たせたりするのが耐えられないくらい嫌い。つまり要約するとウォルトディズニーはあたしの敵である。
しかしあたしも人間がまるくなったと、つくづく思うが、そういう場所へ自腹きってわざわざ出向いてやろうという気になったのである。しかも2日間!ホテルに泊まって!!
好き嫌いの次元ではないところで物事を見る余裕ってやつができたのかなあ、と思った。だってどうせ今度くるのはきっとまた17年後、ハレー彗星とか皆既日食とかを楽しむ感覚と似ているのかもしれない。
結果からいえば、フヂマリの完敗である。あたしに雨の日の土曜に舞浜まで来させ、「プーさんのハニーハント」を120分並ばせ、「モンスターズインク」のマイクの髪飾りを買わせ頭にくっつけて満面の得意顔にさせ、マーメイドラグーンでリトルマーメイドのグラスつきゼリーを注文させもらったグラスを仕事場のペン立てにさせ、2日目の最後にはちゃんとおみやげのお菓子を買ってデカデカとミッキーさんの顔がプリントされているビニールバッグ握って帰らせたってことはこれつまり完全にフヂマリの負けである。
同行者にも「まさかフヂマリがそのおみやげ袋をぶら下げる日が来ようとは」と言われたが、それをナチュラルにこなした自分がいちばんビックリだ。
そんな惨めな自分を悲観したりなんかしない。なんせこの2日間フヂマリは感心しっぱなしだったのだ。
言った文句はただひとつ、「ホーンテッドマンションの男性従業員は、せっかく燕尾服着てんだから白い手袋まではめないと駄目だよな。そこまで徹底してほしいよな」でした。まさかの品質向上を願うコメントである。「黒執事」の見すぎじゃなかろうか。
ディズニーランド以外に、こんな恐るべき力を持った存在があろうか。この帝国内に満ちている空気は、もはや「平和」という名の暴力ですらあるのではないだろうか。
XJapanのライブ行くような髪型と格好してる35くらいの元ヤンねーさんが一人雨の中年間パスポート入りのミッキーパスケース首からぶら下げて並んでたりするのである。
見た目バリバリ笑う犬風梅屋敷なバカップルも、エグザイルなおにーさんも、みーんなミッキーさんのことが好きで、120分雨の中並ばされても文句ひとつ言わないなんて、こんなすごい影響力を持ったやつ、人間界にはなかなかいねえぞ。すごいよミッキーさん、である。
客も店員もニコニコしてるし、クレームなんか出そうにもねえし、全世界の客商売関係者は見習わなければなるまい。
オリエンタルランドの経営する東京ディズニーリゾートは世界中のディズニーランドの中でもっともハイレベルであるとは、前々からよく言われている。そしてその理由は接客と人材育成にあるというのも有名な話だが、このあたしが、ディズニーとか日本的な不必要なまでに繊細な接客とか大嫌いなフヂマリ様が、感心するんだからすごいんだよやっぱり。
買い物したり道きいたりすると必ず「行ってらっしゃいませ」って言われるのに対し「ここはメイド喫茶か」とつっこみたいのをその従業員の笑顔が阻む阻む!
ちなみにここ舞浜では従業員のことをキャストというのだそうだ。よく電車内にも「キャスト募集」の広告が出ている。へーキャストねー。その言葉の響きが持つお仲間意識の高さにはヘドが出る。今時の舞台演劇関係者が使う「カンパニー」これつまり「その作品の出演者(やスタッフなどの関係者)一同」のことなのだが必ず「カンパニー↑(語尾が上がる)」と発音する、あの「お仲間」感に酷似している。ばーかが。言ってろ。
それにしても、そう、この「キャスト」のみなさん、いったい1日に何人くらいが働いているんだろう。老若男女がいて、ゴミ拾いからミッキーさんの中身まで、んもうそこらじゅうに散らばっている。これだけの人件費を抱えて、確かに収益としての額はでかいかもしれないけど、純利益はどのくらいあるんだろうか。そんなに儲かんないんじゃないかなあ。
帰りの電車内で考えていたのは、「また行きたいな」ではなく「帰ったら会社四季報見ようっと」でありました。
今週は2回もフレンチを食べてしまったのでグルメレポートやるぜ。
1店目は広尾の「キャーヴ・ド・ポール・ボキューズ」。フランスで30年以上にわたりミシュラン3つ星を維持しているボキューズじいさんの店です。
そしてもう1軒、行ってみたかったレストランが、ミシュラン一つ星、今年も取ってるのかしら、フレンチレストランの「シェ・トモ」でした。
土日はもう全然予約ができなかったので、平日火曜のランチを予約しました。
ランチは3000円弱でコースです。
恵比寿からバスで5分ほどの、なんでもない場所に、お店はあります。
いやあ、行ってよかった!!
前々から雑誌などで、料理を目にしていたのですが、こりゃすげえわ。料理が出てくるたびに、すげーすげーとつぶやいていました。
小さなお店ですが、平日にもかかわらず、もちろん満席。
入ろうとすると、扉をちゃんと開けて待っている、というのからして、印象良し。
ちゃんと食前酒を勧めるところから始まるのも良し。本気でフレンチじゃないですか。
食前酒は季節で流行りの、苺のスムージーのようなシャンパンをいただきました。
メニューはいずれも5種類くらいから選ぶことができるってのも重要なポイント。安いコースだと、メインの魚か肉かくらいしか選択の余地が与えられないことが多いのですが、そんなんダメだね!
先日行った「キャーヴ・ド・ポール・ボキューズ」も合格だったけど、最低3種類、肉と魚ともうひとつくらい選べなくちゃ面白くない。食前酒呑みながら、どーしよっかなー、と悩むのも、食事の楽しみなわけですから。
サーブも素晴らしい。いかにも! という男性給仕がいて、それはそれは素敵でした。ドラマみたいな人。白井晃みたい。
物腰は柔らかく、お芝居してるかのような流麗な動きで、一目惚れしてしまった。フランスの給仕って、こういう感じよ。こういう人を連れてこられるってことはオーナーシェフの人柄なんだろうなあ。
前菜はブーダン(血のソーセージ)にしました。向こう側はモツの煮込み。

ブーダンは、まるでガトーショコラのように、デザートのように出てきました。添えられているのはリンゴのピュレ2種と、リンゴのチップス。リンゴの煮たものをブーダンに添えるのは基本ですが、こんなふうにくるってのがすごい。
ムースのようにやわらかいけど、肉と血の味は強く、対比の意外性も混じって、美味しかった!
モツは、フランスのノルマンディ地方でよく食されてます。ルクルーゼのいちばん小さい鍋で出されていました。かなりしっかりとローズマリーの味がつけられていて、前菜とは思えない重さでしたが、美味しい! これで、繊細なものも、家庭料理に近いようなものも、なんでも美味しくつくれるんだぜ、というところを見せてきた感じでした。
前菜のもう一皿は、シェ・トモの代表作である、野菜の盛り合わせです。

あたしは、これを雑誌で見て、この店に来てみたくて仕方なくなったのだ。
30種類ほどの野菜がチマチマと並んでいる一皿は、もちろん日ごと季節ごとに中身が変わります。
これが出てくると、どのテーブルでも、うわああ、という歓声があがる。当然だぜ。そのたびに給仕の人たちはニヤリとします。これ、毎日、気持ちいいだろうな。
ひとつずつきちんと違う味がつけられています。おーいしー。
あ、だめだな、これじゃグルメレポートになんねえや。ちゃんと批評をしなきゃな。
難をつけるなら、うーんそうだな、全体的に酸味が強すぎる点が気になる。マリネされているものの酢が効きすぎてて、野菜の味を楽しむ皿なのに、マリネ液の味のほうが際立っちゃってるのがいくつかあった。
とかいっても、もう、どうでもいいね、これが目の前に出てきたら、もう何も言えなくなる。
主菜は、「ポールボキューズ風のクネル」にしました。先週行ったポールボキューズをリスペクトしてのチョイスです。向こう側は、パイで包まれたブイヤベース。

クネルとは、フランス中央のリヨンの料理。白身魚のすり身を茹でた、かまぼことはんぺんの中間みたいな食べもので、クリームソースの中に浮いて出てきます。フレンチの神・ポールボキューズじいさんはリヨンの出身なので、彼が進化させたリヨン料理にはよく「ポールボキューズ風」という枕詞がくっつきます。
リヨンで食べたときは白身魚だけだったけど、今日のはもっとゴージャスに、海老を粗く刻んだものも入っていました。クリームソースにもきのこが入っていて、いいにおい。おいしー。
ブイヤベースは、テーブルで給仕さんがパイの蓋を切って開けてくれます。本場の南フランスはマルセイユと同じく、アイオリソース(にんにくマヨみたいなの)がついてきましたが、味つけは少々上品になっています。
デザートのサーブも素敵でした。
メニューを見せられた段階では、デザートは選べないようになっていたので、ちょっと残念、と思っていたのですが、もちろんそんなわきゃねえ。
食事が終わって、給仕さんが銀のお盆を持ってやってくると、そこには3つのウイスキーグラスのようなものがのってて、中にはそれぞれ、丸ごとの日向夏、大きな板チョコレートとバニラビーンズ、ブリオッシュが入れられていました。
つまり、デザートを見せずに、デザートの材料だけを見せつつ説明し、客に選ばせる、という趣向なわけよ。しゃれおつー。
それがまた、白井晃風給仕さんによく似合ったキザさで、とても好感が持てるわけです。

んで、選んだのが、日向夏のスープ。向こう側はチョコレートケーキ。
日向夏のスープには、ゆるいゼリーと、日向夏の皮ごとのコンポートと、皮を加えたソルベ が浮いていて、上には、なんとも不思議な食感の、薄い飴のようなものがのせられて出てきました。
フジマリは甘いものが結構苦手なので、デザートを選ぶときはだいたいいつでもフルーツものに逃げてしまうわけですが、こりゃすげーわ。いろんな温度といろんな食感で日向夏が攻めてくるので舐めてかかれなかった。
……あ、批評か、えーと、あたしだったら、コンポートは入れないなと思いました。コンポートが甘くないので、スープやソルベの甘さの中で若干浮いてしまっていたのが気になる。でも食感という意味では、生に近い果実が入ってるのは必要だったけど。もう少し甘く味をつけてあってもいいだろう。
ま、面白くて美味いからいいんだよ。アリだよ。
円盤状の飴は、水分に触れると、フニャリと、まるでオブラートのようになるのが不思議! 近未来的であります。
チョコレートケーキは、あんたもう文句なんかねーよ、という味でした。かなりビターな感じで、上にのっかったチョコレートのアイスクリームも、刺さってるチョコレートも大人な味。
チョコレートケーキって、木イチゴ添えたり無駄なミントの葉っぱのせたりして出てくるものが多いけど、シェ・トモは、そんな無駄なことはしないのでした。白い皿の上に茶色だけで勝負。でも濃淡があったり素材感が違ったりして、ちゃんと芸術的な見ためになるわけです。
皿の上に無駄なものがのっていないっていうのは料理芸術の重要なポイントだ。
そう、皿もテーブルクロスも真っ白、っていうのは、あたしの好みのストライクゾーンど真ん中である。
でもすごいのは、いっろんな形の、おっしゃれーな皿とカトラリーばっか出てくるところ。円錐形みたいなバターポットとか、魚の形のナイフとフォークとか、ちんまりと短くて馴染みのいいバターナイフとか、いいものばっかり使ってる。ワイングラスも、あたし好みの、うっすい口触りだった。こだわりが見える。
おそらくシェフのトモ氏だろう、ひげのおっさんは、超厳しそうな顔していたので、入ったときから安心感漂っていたけれど、いやあ、すごい! これは来る価値のある店でした。
お客さんには、男の子だけ3人とか、4人組とか、珍しいテーブルがありました。
それがまた、オシャレ兄さんたちで、でもイヤミじゃない感じで、ちゃんと全員違う一皿を頼んでいたり、時間をかけてワインを選んでいたり、料理が出てくるたびに、わー、って言ってたり、隣のやつのを食べてみたりと、あー、好きでこの店来てんだな、とわかる人たちで、いい感じだった。
いや兄さん方、この店に彼女連れてきたら、あんたパーフェクトだよ。高くないのに美味しいし雰囲気素敵だし隠れ家的だしイヤミでも伊達でもないフレンチだし。惚れるよ。
こういう店に出会うことがあるから、外でごはん食べるのは悪くない。
バレンタインデーには男の子の名前を入れたフォンダンショコラをあげたら、女の子たちが「ずるい」と一揆を起こしかけたので、ホワイトデーは女の子の名前入りのピンクハート型いちごクッキーをあげました。
あれ? なんかおかしくね? あたしになんの利益もなくね? あたしなんももらってないのにホワイトデーお返しあげるって間違ってね? っていうかこれってお返しって言わなくね?
世の不条理を感じ涙でベイキングシートを濡らしながら型抜きをいたした次第でございます。

いちごチョコレートを生地に練り込み、文字はホワイトチョコレートで描いたのですが、味は今イチでした。なんかモッソリしてる。
まあ今回は見ためがかわいけりゃいいから良しとしよう。
それにしても今どきの女の子の名前をハート型のクッキーに描くと、なんてかわいいんでしょうか。個人情報保護の観点からご紹介できないのですが、男の名前よりも萌えるわ。
相合い傘とかもかわいいかな、と思って描いてみたら

こんなんになった。かーわいー!
テンション上がって

こうなって、

こうなったのは3月13日金曜日の丑三つ時でした。
銀さんを描くだけの力はなかったあたり、哀れであります。これじゃケーキの上でヲタンビ騎乗位のアイシングするのなんてまだまだ夢のまた夢よ!
精進します。
2009年姫始め
①映画『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』 さいころ2つ
クジでカンヌへの旅行を当てたMr.ビーンがカンヌ映画祭をめちゃくちゃにする話。
Mr.ビーンでは90分間もたせることができなかった。2人でこれを映画館に観に行くなら、その3000円でMr.ビーンのテレビシリーズのDVDを1本買ったほうが良い。
②映画『デスノート後編』 さいころ3つ
さいころ3つともLと松山ケンイチに捧げる。前編で築き上げた、松山ケンイチと彼のLへの信頼感を、彼は非常に巧く操っている。前にも書いたが、コーヒーカップを持つ指先まで完璧。だから遺影の前のお供えおはぎを食べちゃうのや、抹茶ういろうを棹ごと咥えブランブランさせながら親指を突き出すのとかが俄然映える。無表情&無口の中での感情表現が完全にできている。あたしLの出てるとこだけのために、最初まで巻き戻してもう一回、他のシーンを早送りしながら見直したくらいだ。
③映画『L チェンジ・ザ・ワールド』 さいころ2つ
さいころ2つともLと松山ケンイチに捧げる。ストーリーがバイオ系、タイロケとかだっせー、どうしてハリウッドじゃないパニックアクションは安っぽいんだろう、研究所の防護マスクが立方体だったところで心が折れかけた。
左が通常、右がチェンジザワールドしちゃったバージョン。
そのマスク、「今までない感じで斬新」って思ってつくったんだろうけど、絶対実用的じゃないよね?角の部分が反射して何にも見えないよね?
でもいいのだ。Lがママチャリに乗ってるのを見られれば、それでさいころ2は確定する。ちょろいな、あたし。
④映画『4分間のピアニスト』 さいころ5つ
殺人容疑で収監されてる天才ピアニスト女と彼女の才能に惚れ込んだピアノ教師の老婆が脱獄してコンクールに出る話。
これはすげえ。金をつぎ込まずとも、すげえ映画はすげえのだと、ブツブツ言いながら観ていた。義父レイプとか中絶とか心の傷とか暴力とかを背負い込んだケモノみたいな女と、同性愛とかナチスとか裏切りとかを背負い込んだ岩みたいな老婆とが精神的にも肉体的にもガチでぶつかる、すさまじい2時間。お互いの力が強大だから、対立するときも融和するときも莫大なエネルギーで、でも映像としては静かで、流行りの、青っぽく処理された画面とも相まって、美しかった。
ラスト、観客が拍手しないまま終われば、あたしの中ではさいころ6つだったかもしれない。あの嘘くさいスタンディングオベーションはいらない。
⑤劇団風の子『ぼくのなかのぼく』 さいころ2つ
身体の中を探検しながら「こころとからだ」のことやいじめについて考える話。
さいころの数は子ども向けの劇だからとか、そういうことではない。
子どもと食環境の問題、いじめ、など、テーマを盛り込みすぎている。それからあからさまなテーマは、子どもを相手に芝居をするときに伝達しやすくて便利かもしれないけど、クサすぎる。その、大人が考える「いじめってよくないよ」「いじめられて僕さみしい」みたいなろくでもねえメッセージ性は、子どもにとってもクセえのだ。あたしが子どもだったときはそうだった。うぜえなあって思ってた。子どもの世界にある問題、人間関係は特にそうだけど、それを大人→子どもと見下しているのがすぐにわかるのだ。
だから、エーリヒ・ケストナーとか宮沢賢治はすごいのだ。大人なのに見下さない。でも作品の中には確立されたテーマがある。こういうのを演じている児童向け劇団はないかなあ。いじめ問題を考えさせるお話として、あたしなら「飛ぶ教室」や「風の又三郎」をだんぜん推薦するがなあ。
「いじめ」という言葉が劇中1回でも出てきたら、終わりだな。タブーワードだ。
⑥劇団四季『ウィキッド』 さいころ3つ
マイノリティの魔女とマジョリティの魔女が仲良くなるけれど、お互いの信じるものに従って別々に生きていくことを選ぶ話。
ベースとなる「オズの魔法使い」の話をうまく組み込んでいる。なるほどねー、そうやって原作を捉えていくわけねー、と感心するところがいくつもあった。よくできていて面白い!
でも劇団四季だからつまらない。大変残念なことだと思う。
劇団四季を非難するわけではない。ブロードウェイ版見てから四季を見て「やっぱ日本人はダメだね」とか言う奴、あたしだって好きじゃないし、劇団四季レベルの公演ができる日本人なんて、なかなかいないと思ってる。ライオンキングなんか、ストーリーとしては非常に疑問が残るが、オリジナル版と比べても見劣りしないと思う。演出家ジュリーテイモアも、半分はお世辞だろうが、「シンバを演じる彼をオリジナルで使いたかった」と言うくらいだった。
でも今回はダメだった。
オリジナル版での問題点は2つ。
1.あたしはミュージカルというのは、終演後、家路につくまで、1曲でいい、観客に鼻歌を歌わせたら勝ちだと思っている。というか、そういう1曲がなくてはならないと思ってる。ライオンキングの「サークルオブライフ」とか、キャッツの「メモリー」とかメリーポピンズの「チムチムニー」とかエビータの「ドントクライフォーミーアルジェンチーナ」とかレミゼラブルの「民衆の歌」とか、なんでもいい、帰り道にフンフン言わせてほしいのだ。
それがウィキッドでは弱かった。原因は1つ。メインテーマソングであろう、「デファインググラビティ」が、1幕最後に1回出てきたきりだったからだ。メインテーマはやはり最低2回、カーテンコールで同じメロディがもう1回出てきてほしい。あるいはメジャーコードやマイナーコードにアレンジして思わせぶりにBGMとして使われるのでもいい、2幕でも出さなきゃダメだろ。
ウエストサイドストーリーみたいな悲劇なら、ラストが暗く終わっても良いが、これ、一応ハッピーエンドなわけなんだから、中途半端なフィナーレ曲じゃなくてDefying Gravityもう1回もってくりゃよかったのに。
ただしこの点は、後述する劇団四季としての問題点ともかぶってると思われる。なぜなら、家に帰ってYouTubeでブロードウェイオリジナルキャスト版を観たら、1回聴いただけでちゃんと頭に残ったからだ。もう一押し欲しいというのは変わらないけど、でも、まあ、アリかなぁ、とは納得した。
2.オズの魔法使いのおっさんが歌うソロは1曲でいい。2曲はいらない。無駄。そこに別の曲を入れろ。
劇団四季版の問題点は5つだけ、挙げよう。
1.大して大きな劇場じゃないのに、マイクつけてんのに、誰一人として声が響かない。客席に声が届かない。
歌は特にひどかった。まるで寝起き。1幕は完全に発声練習。ソワレだぜ? 緞帳降りてるとこで歌ってるみたいだった。伸びも艶もない声。
2.音痴。特にひどかったのはオズの魔法使いのおっさんと色男フィエロ。テニミュか? テニミュのほうがマシだな。彼らは少なくとも踊れる。
曲のリズムが特徴的で結構難しいのはわかるが、もう2年やってんだろ? 歌い手だけじゃなくてオーケストラピットまで含めて誰もリズムを取れていないのは、いかがなものか。いかがもクソもなく、ダメだろ。
ミュージカルの面白さであり難しさである、歌唱と会話文のミックスが、誰もできないってのも気になる。会話→歌→会話→歌、というのがスムーズにできない。マジョリティ魔女を演じていた人の高音もひどかった。カスッカス。歌が下手+姫衣装=はしのえみにしか見えん。ヘタしたら欣ちゃん劇場で鍛えている分、はしのえみのほうが巧いかもしれない。
3.脚本を読んでいるのか?
肌が緑のマイノリティ魔女と金髪美人のマジョリティ魔女は最初「なによあの子!」とお互いに嫌ってるわけです。それがふとした瞬間に、バカで外ヅラだけいいマジョリティ魔女が、他の誰も気づかないのに、「あの子は誰にどう思われたって構わないわけじゃないんだわ、そういうフリをしてるんだわ、本当は好かれたいんだわ、あたしとおんなじなんだわ」と気づいて、そこから急速に仲良しになるわけです。この、対立と融和が、明らかに客に見えなくては、このお芝居は成立しないわけです。それが、まったくもってなかった。なんだかいつの間にか適度に仲良くなって適度に別れてくようにしか見えなかった。あれ?いつの間にそんなに仲良くなったの?いつの間に決別したの?って感じ。④の映画でも対立と融和というのを書いたけど、そのスピード感とタイミングが、まったくなかった。そこからすべてが崩壊していた。演出家がよく言う「始まってない」ってやつですね。
テレビのウィキッド特番を何年か前に見たとき、劇団四季の女優さんたちはオリジナル版とおんなじポーズとか歩きかたとかにたいそう固執してらっしゃったが、そんなことできて当たり前なわけで、そこにキャラクターの感情表現をつけてくれないと困るんだけどなあ。いつ、どの瞬間で、自分はあの子のことを理解し、どんなふうにして急速接近するのか、脚本に眼力で穴あけるくらい読み込んでほしい。平田オリザ的な「感情の自然な流れ」とか、そういうのじゃなくていい、お得意の型だけでもいいから「気づき」のフリを、つけてほしかった。
4.日本語の冒涜みたいな日本語
劇団四季のマニュアルである、あの「一文字ずつハッキリクッキリ発音」は、日本語をレイプしているとしか思えん。それが、滑らかさを必須課題とする歌唱分野にまで出しゃばってきている。日本語の危機である。「オ・オ・ゾ・ラ・タ・カ・ア・ク・マ・イ・ア・ガ・ル・ノ」と歌われた日にはもう……。
細かく面白いアドリブ入れてるのに、それはマイクに巧くのってないから、何言ってるか今イチきこえないし。
5.翻訳
翻訳に関しては、以前から劇団四季文芸部とフヂマリとはたびたび意見が合わないので仕方がない。
10年くらいまえにオペラ座の怪人を観たとき、そのあまりの字余り具合にのけぞったのだが(今の脚本がどうかは知らないけど、当時は本当にひどかった。すべての歌詞で字余りしていた)、でもそれ以外は、ライオンキングとかキャッツとか、クレイジーフォーユーとか、わりと平気だったから油断していた。
これも、問題1がなかったら気づかなかったかもしれない。
問題1があまりにひどかったため、曲に関して何の印象もないまま帰宅し、不完全燃焼を癒すためYouTubeで英語版を探した。そしたら気づいてしまったのだ。メインテーマソングの歌詞の本当の意味に。
Defying Gravityという曲のタイトルどおり、この歌は、オズの世界の虚構に気づいてしまったマイノリティの魔女が、彼女を殺そうとする人々と、それから親友であるマジョリティの魔女と別れ、正義を遂行しようとする、旅立ちの歌である。
「重力に打ち勝つ」というタイトルの、「重力」という言葉は、この歌の中で、いや、この劇の中で、もっとも重要な単語となっている。これが、劇団四季版では完全に抜け落ちている。
ここでいう重力とは、マイノリティの魔女を取り囲む、すべての世界、緑の肌を笑う社会的傾向、見て見ぬふりを強制する社会、そして最終的には友情、そういうしがらみすべてであり、ここで彼女は、マジョリティ社会に甘んじることよりも、例え険しくても、自らの真理を追究することを選ぶという意味で「重力に打ち勝つ」と言う。
劇団四季文芸部がおっしゃるように、単に「大空高く舞い上がる」わけではないのだ。
なんでこれを外したかなぁ。と、あたしはYouTubeを見ながらガックリしてしまった。
試しにドイツ語版も見てみたが、まあ相手が悪い、ドイツ語訳は巨匠・ミヒャエルクンツェだった。彼はこの歌を「Frei Und Schwerelos」と訳している。「自由と無重力」、ほらちゃんとGravityに適応するような語を選んである。
他にも言いたいことはあるので、対訳にしてみる。
緑の文字が劇団四季版、下が粗訳である。
今動き出す
Something has changed within me.
私の中で 何かが変わった
胸の奥で
Something is not the same.
何かが違う
ルールにしばられ生きてきたけど
I'm through with playing by the rules of someone elses game.
誰かの決めたルールに従うなんて、もううんざり
自分の心に
Too late for second-guessing.
ケチをつけるにはもう遅い
嘘をつけずに
Too late to go back to sleep!
(気づかなかったことにして)眠ってしまうには、もう遅い
大空高く飛び立つ 今
It's time to trust my instincts.
Close my eyes, and leap!
直感に従うときがきた 目を閉じて 飛び立つの
誰にも止められない
It's time to try defying gravity.
挑戦するときがきた 重力なんて打ち負かしてしまえ
自由を取り戻すの
I think I'll try defying gravity, !
私はやってみるわ 重力なんて関係ない
恐れはしない
and you can't pull me down
私を引き戻すことはできない
誰が決めたの 限界なんて
I'm through accepting limits,
'Cuz someone says they're so!
みんなが決めた限界なんて超えてやる
変えてみせるわ
Some things I cannot change,
変えられないことだってある
この世の闇を
but 'till I try, I'll never know!
でも、それでも私は挑戦する これからもずっと
たとえすべてを失ったとしても
Too long I've been afraid of
losing love, I guess I've lost!
すでに失ったはずの愛を 再び失うことを恐れていた 長いこと
信じた道を進むのよ
Well, if that's love, it comes at much to high a cost!
そう もしあれが愛なら 得るにはなんて高価なんだろう
誰にも止められない
I'd sooner buy defying gravity
すぐにでも買いたい 重力に打ち勝つの
自由を取り戻すの
Kiss me goodbye!
I'm defying gravity,
さよならのキスをちょうだい 重力なんて関係ない
恐れはしないわ
and you can't pull me down!
私を引き戻すことはできない
グリンダ 乗って 私を信じて
Glinda, come with me.
グリンダ 一緒に行こう
彼と戦うの 二人ならできるわ
Think of what we could do. Together,
一緒なら 何ができるか考えてみて
できるわ
Unlimited.
なんでもよ
必ず できるわ
Together we're unlimited.
一緒なら わたしたちに果てなどない
二人の力を信じるの グリンダ
Together we'll be the greatest team there's ever been. Glinda,
二人なら わたしたちは最強のチーム
いまだかつてないくらいに グリンダ
勇気出して
things the way we planed 'em.
わたしたちが考えてた夢
あなたとなら
If we work in tandem:
二人乗りして動き出すなら
負けはしないわ
There's no fight we cannot win.
わたしたちが勝てない戦いなんてない
誰にも止められない
Just you and I defying gravity!
あなたと私だけが 重力に打ち勝てる
自由を取り戻すの
With you and I, defying gravity,
あなたと私がいっしょなら 重力なんて関係ない
できるはずよ
They'll never bring us down.
奴らはわたしたちを引きずり下ろすことなんてできない
グリンダ 一緒に来てくれないの?
Well, are you coming?
さあ 来るでしょ?
グリンダ:後悔はしてないのね
I hope you're happy, now that you're choosing this.
幸せになりますように 今あなたが選んだとおりに
あなたこそ
You too.
あなたも
これでいいのね
I hope it brings you bliss,
あなたの選択が幸福をもたらすよう祈ってるわ
この先のことわからないけど
I really hope you get it,
And you don't live to regreat it!
あなたが幸せを手に入れられますように
後悔などしませんように
選んだ道だから
I hope you're happy in the end!
最後まで幸せでありますように
悔やまない 決して
I hope you're happy, my friend!
私の友達が幸せでいることを 心から祈ってるわ
大空高く
So if you care to find me
もし私を見つけたいのなら
舞い上がるの
Look to the western sky!
西の空を見てちょうだい
飛んでゆくのよ
As someone told me lately:
誰かが最近 私に言ったとおりよ
どこどこまでも
"Ev'ryone deserves the chance to fly!"
「誰にでも飛び立つチャンスがある」
そう これはチャンスよ
And if I'm flying solo,
もし一人ぼっちで飛ぶとしても
逃しはしない
At least I'm flying free.
少なくとも私は自由に飛べるの
進むのよ
To those who'd ground me,
私(の魔女としての才能)を磨き上げた人々に
自由への道を
Take a message back from me:
一言 伝えてちょうだい
誰にも止められない
Tell them how I am
Defying gravity!
どんなふうに 私が重力に打ち勝ったか
羽ばたこう 大空へと
I'm flying high,
Defying gravity!
重力なんて関係なしに 高く舞い立ったか
恐れはしないわ
And soon I'll match them in renown.
そしてすぐに 私の名声は彼らに匹敵することになる
邪魔などさせない
And nobody in, all of Oz.
オズに住む誰も
誰もが怖がる
No Wizard that there is or was.
今いる魔法使いも 過去にいた魔法使いも
この力を 今
Is ever gonna bring me down!
誰も私を 引きずり下ろすことなんて絶対にできない
やれるわ
Bring me down!
絶対に
「重力」という言葉は、日本語にすると物理的すぎて、歌詞として組み込むには適さないとは思う。歌詞を訳すというのは、音の数の制限もあるし、原文に完璧に近づけるのは大変に難しいとは思う。
でもさー、それが仕事なんだからね。翻訳ってそういう仕事だからね。血を吐くような努力をしてくれないと困るのだ。
重力の問題だけじゃない。四季版は情報量が圧倒的に少ない。
中盤に繰り返し出てくる「I hope you're happy」という表現も切り捨てやがったのだ。
この言葉は、マイノリティ魔女の誘いをマジョリティ魔女は断る、でも、お互いの友情がなくなったわけではない、考えかたや進む先は違っても、あなたが幸せになることを望んでいるの、という、思いやりの心を表している。でも四季訳ではそれが完全にないために、まるでマイノリティの魔女が、自分のやりたいように、ズンズンズーンと進んでいくかのように見えてしまう。
違うんだよ。根本的にキャラクターの理解が間違ってるんじゃなかろうか。
感情表現とかキャラクター理解とか、文字のスペシャリスト集団であるはずの大手劇団文芸部が、こういうふうに、作品中の重要ワードをことごとく落としていくのが、あたしは我慢できない。
何が大切なのか、何が切り捨てられないポイントなのか、その判断をことごとく間違えているために、「空高く舞い上がるの」なんていう、なんだかすげー軽い歌になっちゃっている。
こういうのが、いくつもある。
こういうことがままよくあるから、劇団四季に限らず、あたしは、翻訳文学とか吹き替え映画とかが苦手だ。なんだか嘘をつかれているように思えてならない。
目の前で妻をレイプされてる感じがする。
翻訳モノで尊敬できるのは、高橋健二訳と、村岡花子訳と、インテル社のキャッチコピー「Intel Inside」を「インテル 入ってる」と訳したどこかの代理店、それからミュージカル『レミゼラブル』で「Do you hear the people sing? Singing the song of angry men」で始まる歌を「さあきこえるか 民衆の歌が」と訳した人くらいだ。あの訳は音にぴったりはまっていて意味も完璧だった。帰り道の鼻歌レベルが高かった。
踏韻の文化は日本語にはあまりなくて、やると陳腐なダジャレみたいになっちゃうので、欧米言語による歌には必須の韻、たとえばこの歌なら、「things the way we planed 'em」「If we work in tandem」のようなものまで訳せとはいわない。
語彙の対照による美しさも難しい。例えば「fly high」や「defying gravity」という上空への移動を示す語に対する「bring (one) down」つまり「引きずり下ろせ」=「倒せ」という、地面方向への移動を示す語、みたいな部分まで訳せとはいわない。bring her downを四季は「殺せ」と訳していたけれど、これでは、flyとdownという言葉のようには、「飛ぶ」と「殺せ」では対にならない、とかね、そこまで言わない。だってそんなの不可能だもん。
でも、最低限、高校の現代文読解レベルで拾えるキーワードくらいは、クリアしてほしいと思いました。
良いところも、あるよ。
衣装はオリジナルに非常に忠実で(そうでないと上演許可がおりないのだろうけど)美しいし、照明プランも素晴らしいし、舞台セットの時計盤はブロードウェイ版よりも繊細で素敵。一緒に観に行った人も、終演後の一言目が「綺麗な衣装だったねえ!」でしたしね。
キャストの中でいちばんマシだったマイノリティ魔女は、わりと良かったし。
しかし言いたいことも、まだまだ山ほどある。
まるっきりクソみたいにつまんなかったわけではない、というのもまた、苛立ちを増幅させる。
さいころは、1つを脚本に、さいころ1つをスタッフに、そしてもう1つをオリジナルキャストのイディナ・メンツェルに捧げる。メンツェル演じるマイノリティ魔女は美しかった。「メガネを取ると美女」という王道シチュエーションが、四季の人はもともと美人じゃないから失敗してたけど、メンツェルは本当に綺麗になってた。緑の肌なのに。
まあ、隣の席にいたカップルの男が、しみじみと「面白かった~」と言ったので、いっか。マジョリティには面白いってことだろう。

調理実習最後の献立は「饗応料理」でした。和洋中好きなようにつくっていいのでした。
我らの班は「ノルウェーのクリスマス料理」がテーマ。
前菜は海老サラダ。
アボカドとボイルした海老を手づくりのレモンマヨネーズで和えてあります。
スープは豆のポタージュ。
レンズ豆を煮込んだ後にミキサーで粉砕し、その後輪切りにしたソーセージと煮たもの。
パンはフラートブロー。薄っぺらくてほんのり甘いパンです。
メインは鮭。ポーチ(薄いコンソメで茹でる)した鮭をメインに、同じくコンソメで茹でたキャベツ、いんげん、マスタードソースを添えてあります。
クリスマスというよりは春っぽすぎたのが反省点。
「ヤンソン氏の誘惑」は、アンチョビと玉ねぎ、じゃがいものグラタン。これはスウェーデン料理。
デザートはクリスマスツリーパイにしました。これも決してノルウェー料理というわけではない。
パイを三角形に焼き、裏にチーズクリームとブルーベリージャムを塗って重ねていきます。
いずれも美味しかったです。
ご覧のとおり、決して美しいできばえのものばかりではありません。
なぜなら、栄養士というのは調理師ではないので、なんだか学生の意識が調理にはいっていないからです。そこが、あたしがこの2年間ずっと不満だった部分でもある。
「食べるのが好きで、栄養科に入りました」と言う奴が大勢なくせに、つくるのは好きじゃないし、少しでも進歩させたいと思わないのである。
しかも「食べるのが好き」っつってるくせに、未知の食べものに対して踏み出せないのだ。ブルーチーズとか皮蛋を、フヂマリが「あのねー、食っつうのは経験だからね、食べたこともないものを嫌いって言うのはおかしいんじゃない?」と言って無理強いしないと食べないっつうのは、変じゃねえの。
だからメニューを考えるときでも、ワクワクしていないというか、まあ我が班のテーマ「ノルウェーの~」なんてのを見ればわかるように、あたしが主体で決まっちゃったりするのだ。
アグレッシブじゃないんだよなあ。
もちろん中には、そういうことが大好きな子がいて、食に対してちゃんと興味を持ってるし、調理技術を上げようと日々努力しているわけで、そういう人がいる班は他の班よりも素敵なものをつくるのです。
例えばこちら。
パンを三つ編みにしてリース型にして焼いて、きれいにリボンをかけたり、サラダのレモンの切りかたが美しかったりする。
スープは、色がちょっと濃すぎるんじゃないかと、あたしは思ったけど、でも、メインの鶏肉は定番すぎないように、ざく切りのトマトの、面白いソースをかけてたりする。
今回の調理実習は明らかに勝ち組と負け組が別れていたのでした。
どの班もクリスマスをテーマにしたところが多かったのだけれど、リース型のパンとか、クロカンブッシュ(シュークリームをツリー状に積み上げたデザート)とか、ちょっとオシャレで面白いものをつくれた班と、反対に、鶏のローストとつけあわせがブロッコリーとじゃがいもと人参の茹でたやつ(定番すぎて面白くもなんともないし華やかでもない)とか、ポテトサラダを動物の形とかに盛りつけちゃったり(子どもの創作料理かよ)した班とが明白でした。
いや、鶏のローストが悪いわけじゃないしポテトサラダが悪いわけでもないんだけど、上の班みたいにソースに凝るとか、ポテトサラダやりたいんだったら、あたしだったらキュウリ・ハム・人参なんて普通の具材を入れずに、生クリームとチーズ・マヨネーズ・玉ねぎだけで真っ白ですんげーなめらかでリッチにつくって、カリカリにしたベーコンとクレソンの上に盛るとか、もうちょっと大人なことを考えるけどな。
つまり負け組の班は「食の経験が浅い」ということなのではないかと、感じたのでした。
今まで見たり食べたりしたことのあるものが少ないから、かっちょいいものをつくろうとしても、そもそものネタが少ない。
何ごとにしてもそうですが、知ってるのと知らないのとは大変大きな隔たりがあるのだ。クロカンブッシュを知ってるか知らないか、あるいは、ブッシュドノエルを知ってるか知らないかだけで、ただの安っぽいロールケーキをつくるか、それともチョコレートクリームを塗ってちょっとスペシャルな感じになるか、結構大きな差が生まれるのだ。
1人もそういうことに興味がある子がいない班は、やっぱり負け組になってしまうのでした。
そしてあたしが残念だったのは、食の経験が深い人が、かなり少ないということでした。
メニューを考えるって超楽しいことなのになー。
んでもって我が家のクリスマス。
まず今年下半期は、非常にお菓子づくりをする、フヂマリにとっては珍しい日々となったのでした。
柚子を5kgもらったことから柚子大会が開催。
①まず500g分の皮を剥いてせん切りにして、いつでも料理に使えるよう冷凍。
②1kg分で柚子酒を醸す。写真右の容器に入っているのが出来上がり品。
③1kgを柚子ママレードジャムにする。
④500gを柚子ジュース用のシロップに。
⑤2kgを柚子ピールに。
大変充実した柚子ライフが送れています。
柚子ピールは2回つくったのですが、1回目はマジ売りものみたいな素晴らしい砂糖がけができたのに、2回目は失敗してなんとも苦いものになってしまったのでした。仕方がないので細かく刻み、生姜味の生地に練り込んで堅くて薄いクッキーにしたら、これが結構美味しかった! バリバリとした食感がたまらん。
んでもってこれがクリスマス。
今回は予算がそんなに多くない(全部で5000円くらい)ので誕生日ほどのゴージャス感がありません。
前菜は魚介のサラダ。スモークサーモンと帆立のフライ、そして熱くしたカマンベールがのってる。ドレッシングはクリーム系。
メインは鶏と
ノルウェーで「クリスマスハム」と呼ばれるような、今回はベーコンの塊で代用したけど、豚です。 
ほろっほろに煮た鶏・玉ねぎと、カリッとローストしたベーコン・ポテト・トマト、両方が食べたかっただけである。 
デザートは、調理実習で見てつくりたくなったクロカンブッシュと、ダークチョコレートケーキ。

シューの中身はレモン味を効かせたチーズクリーム。これは少し重すぎた。
やっぱりシュークリームのパフの食感には、フワフワした生クリームのようなもののほうが似合うことがわかりました。
ダークチョコレートケーキは、表面をホワイトチョコレートの削ったやつで真っ白に覆ってあります。

切ればちゃんとチョコレート。
形はへなちょこ。

飲みものはボジョレーヌーボー、ではなく(このボジョレー、ラベルはかわいいけどまずかった)、

サントリー赤玉ポートワイン。
これ、美味いんですよ。甘くて昔のワインの味。
温めてよし、サワー割りにしてよし。
今回はゴージャスに、レモン・オレンジ果汁、ダークラム、柚子リキュール、炭酸を加えてサングリアっつうかパンチっつうかってものにしました。美味い!
それにしても、写真を見ると、あたしがいかに美的センスなしなのかが歴然とする。
料理人にはなれんな。
やってきました師走の恒例、独身女が寄り集まって寂しいクリスマスをお届けするクランプハウス建設会であります。
2年前に2人で始まったこちら、おかげさまをもちまして、昨年4人、今年5人と、年々拡大を続けている次第でございます。まずいんじゃねえのか、増えちゃ。
今年のテーマは「クランプ・ヴィレッジ」。
今年は5軒の家が建つのです。
建材となるクッキーは、お店でもよく売られているのですが、そんなん使っちゃ、クランプ魂が廃る。
設計図を書いて型紙をつくって、マイサイズで焼くのです。
5人分の建材を焼く所要時間は2時間半でした。除く生地作成時間。難しいことは何もないけど、時間はかかる。
開始は10時、終了は5時。昼飯食べたり、グダグダとやっていたため、こんなにかかりましたが、このあと一人でもう一軒建ててみたら、クッキー焼き始めから建て終わりまで90分だった。
この作成現場、ニコニコ動画に投稿したいくらいに惨憺たる独身女の醜さで、アイシング(文字や模様を描くための砂糖でできた白濁したドロドロ)で絵を描きながら「らめぇっ出ちゃうぅ」「あーあ漏れちゃった」「顔射顔射」などという言葉に溢れていた。


あたしの建てたのは↑こちら。テーマは「メルヘン&ファンシー」。
んでもって、その中の3軒を大学に持って行ったのでした。
ピギャーーーーッ
という感じで、女子大生に犯されている様子。
これが終わると、年末だなあ、と感じる。
来年は2階建てを目指すぜ!
あ、間違えた、大聖堂だった。
Oさんがフェリシモで大聖堂型のケーキ型を買ったので、手始めに寒天大会を催してみました。
なにを隠そうフヂマリ、この世でもっとも好きな食べものがゼリー茶碗蒸し寒天プリン煮こごりゼラチン寄せ的なるものです。
これ、直径30cm弱、総重量は4kgくらいですが、4日で完食いたしました。
味は上から順に、オレンジ・ぶどう・いちご・ヨーグルト。
フヂマリ誕生日会でした。
どこか食べてみたいレストランはありますか? ときかれたので「レストランで使う分のお金を私にください」と言いました。普段、買うことのないような食材を買って自分でつくってみたかった、その夢を叶える! 予算は2万円。
レストランだとその日一日しか楽しめないけど、今回はメニュー考えるところからつくって食べるまで、まるまる1週間以上、楽しくて仕方がありませんでした。自分の誕生日の食事を自分でつくるのが淋しいなんて、これっぽっちも思いません。
決めたメニューは、
食前酒……スプマンテ ボッテガ・ロセ(イタリアの甘口スパークリングワイン)
前菜……いろんなものを少しずつ
うずらと五香粉の冷製、スモークサーモンのカナッペ、ハーブソーセージのグリル、スライスした胡瓜の酢漬け、ムール貝のワサビソース和え
スープ……ビーツのビシソワーズ
主菜……ローストポーク
添えもの……ローストしたじゃがいも、紫玉葱、ルッコラと水菜のサラダ
デザートとチーズを合わせて……チーズケーキ2種(NY風チーズケーキ、レアチーズケーキ)
フルーツ……プルーンのグラタン
食後酒……チョーヤでいちばん高い梅酒
です。
五香粉は中華風の香料。八角などの香りがします。
スモークサーモンのカナッペだって、ちゃんと、クレームフレッシュを泡立てたのとホースラディッシュを使ったクリームからつくり、ケイパーなんかじゃなくて、西洋料理でサーモンに必ず添えられるディルを上に飾りました。こういうのの費用がかさむんだな。
調理が始まったのは3日前。
まず、メールで注文した豚肉の塊が届きました。スーパーやデパートではスライスした肉しかなくて、あるいは高すぎたりして、思ったものがなく、サイボクハムという、わりと有名な豚肉精肉メーカーに注文。サイボクハムのソーセージやハムは、かなり美味しいです。肉は 1キロ購入で2800円。高くはない。だって和牛なんかだと100グラム350円とかあたりまえだもんな。こいつを塩水に漬けておくため、3日前から始まるのです。塩水に漬けとくとローストしたときに表面がパリパリになるのです。
ローストする30分前に塩水から取り出し、塩、胡椒、ローズマリー、メイヤーレモン(酸味がやわらかく香りが強いレモン。皮の色はオレンジに近く、皮を削って香りづけに用いる)、オリーブオイルを混ぜたものを全体にまぶします。
前日は大買い出しデー。
買ったもの;スプマンテのハーフボトル、梅酒、クリームチーズ500g、カッテージチーズ200g、生クリーム200g、サワークリーム100g、クネッケブロー(ガーリックの味がついた薄くて堅いクラッカーのようなもの)、タイム、ディル、ローズマリー、五香粉、四つ葉バター、ビーツ(赤カブ)の水煮缶、紫玉葱、じゃがいも、ねぎ、きゅうり、青しそ、飛び子、フルールドセル(甘口の塩)、エキストラバージンオリーブ油、バルサミコ酢、絹さや、うずらの卵、ハーブ入り生ソーセージ、スモークサーモン、ホースラディッシュ(西洋わさび)、生姜、メイヤーレモン3こ、ゼラチン、小麦粉、クラブソーダ、アンチョビオリーブ、上白糖
計17000円くらい。
食べものを買うのはあたしにとって、洋服を買うことよりも楽しいことだと再確認しました。あたし、17000円分洋服買うより食材買ったほうが満たされるわ。
キャビアやらフォワグラやらを買っているわけではないのですが(いちばん高い単品はチョーヤの特級梅酒720mlで3150円)、普段は使わないハーブ類などでちょこちょことお金がかかっている。
日本では手軽に入手できないものを思い出した。
まず脂身つきの塊肉。そりゃ高価なやつならあるのだが、手頃な感じで、パパッと買えない。それでも、ノルウェーでしゃぶしゃぶ用の薄ーいスライス肉を入手する苦労に比べたら大したことはない。ノルウェーで薄切り肉を手に入れることは不可能に近いのです。
次が野菜。ビーツもチャイブも高くて買えない。皮つきでローストすると美味しいコロコロ小さいじゃがいもや紫玉葱もない。イギリスで大根を買えないのと同じ。
今回の買い出しでフヂマリ最大の大盤振る舞いは、1球198円の紫玉葱を2こ買ったことでした。たっけー!
つくってみたかったのは、ニューヨークタイムズなどで連載を持つ、アメリカの若手料理研究家・アマンダヘッサーのつくるような料理。つまりフレンチっぽい洋食でした。
彼女のCooking for Mr. Latteという本を読んで、日本ではなかなか食べることのできない「クレームフレッシュ(生クリームとサワークリームの中間のような発酵クリーム)」や様々な香辛料を使ったコッテリしたものをつくりたくなったのでした。
チーズケーキ2種も、前日につくっておくと、しっかりと冷やせるし、しっとりとして美味しくなります。
ニューヨーク風ベイクドチーズケーキは、オーブンで焼くときに天板にお湯をはります。こうすると、生地の水分が抜けないで、しっとりとした仕上がりになるのです。
普通に焼くと、不要な水分が飛び、ずっしりさっくりとしたできあがりになる。どっちも美味しい。
クリームチーズだけではなく、マスカルポーネや今回使用したカッテージチーズを加えると、味にコクが出ます。
レアチーズは、まっしろしろできれいな部分と、さっくさくの台地部分の対比が美しい!
上にはよくミントの葉などが飾られてるけど、食べたときの食感が良くないので、あたしはメイヤーレモンの皮を削ったものにしました。
スープとローストポークはこんな感じになりました。

スープの浮き実は絹さやと、ビーツの汁をゼリーにしたもの。味に今ひとつ特徴がなかったのが反省点でした。怖がらずにもっとピンクグレープフルーツジュースを使えば良かった。
ローストポークは大変美味で、1kgがまるまる完食されました。豚肉は焼くと若干パサパサするけど、上から肉汁をかけながら食べれば問題なし。
じゃがいもと玉葱にはローストする前に、栄養士的観点からすれば「マジかよ」という量のバターをすりこむ、っつうか乗っけて、焼くのですが、これをしないと、本当の西洋料理の味にはならない! 油脂は西洋料理の根底なので、使うところでしっかり使わないと、美味しくなくなっちゃうのです。
すんげえ楽しかったので来年もやりたい!
でもレストランにも行きたい!
誕生日が2回あればいいのに。
「作家の太宰治は、創設されたばかりの芥川賞を、のどから手が出るほど欲しがった。名誉というより、賞金500円が魅力だったらしい。だが、第1回の受賞は石川達三の『蒼氓』に決まる。あきらめきれず、選考委員だった佐藤春夫に手紙を送った。『お笑いにならずに、私を助けて下さい』。だが2回目も3回目も選にもれた。太宰は佐藤の家でさめざめと泣いたそうだ(『芥川賞の研究』)」
この、太宰治の、晴れ晴れしいまでのウザさよ!
こんなに短い文章の中に彼のウザさを表すキーワードが①文学者目指してるくせに賞を欲しがる②選考委員に手紙を送っちゃう③なんとその選考委員の家に行っちゃう④しかも泣いちゃう……4つもあるじゃないか。
ほーんと、太宰とゴッホは似てると思う。ウザさのベクトルが一緒。
一般生活ではやってけなさMAXな人柄はさすが芸術家さんだ。大っ嫌いだけど。
太宰治は両頬ひっぱたいて腕つかんでハワイに連れてっちゃいたくなる。
アメリカの刑務所モノドラマ『OZ~オズワルド刑務所』を見終わりました。
すんっげー面白い! のにDVD化されてないのでニコニコ動画で見ました。ニコ動に感謝する!全話あるなんて!
18禁の、ちんちんぷらぷら、レイプありーの、殴る殴られるは10秒に1回、刑務所なのに殺人は日常茶飯事、生きて出られる奴のほうが圧倒的に少ないような、凶悪犯罪者用刑務所・オズワルド。その日常生活のドラマなんですが、それはそれはよくできている! 懲罰房には全裸で入れられるので、バケツにおしっこするのとか、ケツに刺青入れられるのとか普通。腕と脚全部折られたり、強制フェラ中にちんちん噛み切ったり、看守にリンチされたりと、とにかく暴力&暴力のドラマです。
出てくる奴みーんなワルそうな顔してて、FUCK SHITは当たり前。
登場人物がまた個性的。
まずは一番人気・サイード。
黒人ムスリム系派閥のリーダー。ある意味政治犯的な理由で収監されてます。
とっても美男子で、落ち着きがあって、知的なリーダー。それでもあやまちを犯したりして悩む姿は悶えるくらい素敵。
抱かれたい!
トビーとケラーは主人公各の2名。通称「オズの801」。そう、ガチホモコンビです。トビーは元弁護士で、交通事故で収監されて、レイプされたりいじめられたりしてるうちに弁護士だった頃とはまったく違うワイルドな男に成長していくんですが、それと共に、最悪の殺人犯、嘘つきでバイのケラーに惚れちゃうのです。ノンケだったのに! その過程はまさしくBL。「男だから好きなんじゃない、おまえだから好きになったんだ」の典型。よしながふみも言ってましたが、もう大したプライドなんか残っていない、その最後のひとかけらまで奪われる瞬間、そのイタさの快感ったらねえだろ! トビーが男に堕ちていく感じ、好きでした。しかもその相手が最悪。信じても信じても裏切られ、それでもまだ好き、っつうのが、もう!! 絶対に幸せになんかなれない、破滅的なその愛憎劇は、白泉社なんかには描けない、正統派JUNEの香り満載。『終わりのないラブソング』とか思い出しちゃった。

ゴツいおっさんたちしか出てこねえドラマだから、目が慣れてくると、このライアン&シリルが超美形に見えてきます。二人は兄弟。役者さんもリアル兄弟。兄貴のライアンは頭脳プレーの一匹狼、人を言葉ひとつで他人に殺させるのなんか朝飯前。弟は事故で脳障害を負い、5歳児程度の頭脳になってしまったかわいい子です。だからパペットを持ってる。お兄ちゃんの命ずるまま、人をひとり殺し、収監。兄貴は弟をこよなく愛しているので、つねに二人は一緒。仲良しさんなところがまた、かーわーいーいー!! この二人が出てくるとギャーギャー言う女子と、「黙れ腐女子!」という男子の書き込みで、ニコニコ動画は大騒ぎでした。シリルたんをいじめる奴は許さねえ! シリルがレイプされたときなんか、ライアン以上に怒ってたからね、あたし。
凶悪犯どもの中の癒しはこの二人。ジジイ's。
もちろん人殺しの凶悪犯なんだけど、でもまわりがもっと凶悪で、所内でヤク売ったり殺したりしてるから、この人達出てくると安心する。
穴掘って脱走したり、孫の病気のためにカンパを募って、凶悪犯どももお金をくれたりと、とことん癒しです。
そう、この、ホンワカストーリーやギャグ要素の入れ方が、このドラマの脚本家は神憑り的に巧い! 基本が殺す殺される、騙す騙されるといった、所内の権力闘争、囚人も看守も、誰一人として純真潔白な奴など出てこない超シリアスバイオレンスなんですが、だからこそ、小さなギャグがメチャクチャ映える。こえー顔した凶悪犯が音楽セラピーの女の先生に「もっとたくさんメンバーが集まるといいのに」と言われた次のシーンで、ジジイ'sを締め上げ、「てめえ、歌は好きか?」と迫る、とか、
アーリア系のネオナチ野郎が歯周病になって(この時点ですでに面白い)、歯ぐきを移植しなきゃなんないってときにアーリア系をよく思わない歯科医が黒人の死体から取った歯ぐきを移植しちゃったり(これはネオナチ君からすればシャレにならない悲劇なんだけど、見てるほうはすっげえ楽しい)、囚人達でマクベス演じようというプログラムがあるんだけど、マクベス役がどんどん殺されたり独房行きになったりして演出の先生に「またいなくなっちゃったのよねー」と言われたりする。
そんなギャグ要因の一人であり、このオズの主任であるのがこのハゲ。
こいつろくでもねえ。疑いやすく信じやすいその性格のせいで事件が起きる起きる。ドラマ中に死んだ囚人たちの半分くらいはこいつの判断ミス、人の話をきかなかったり、逆に囚人の言うことを信じちゃったりしたことに起因してるんじゃないかという男。
こんな外見によらず、意外と女にモテる。新しく赴任してきた女医・女看守などは全部と寝てる。誘いの常套句は「食事にでも行かないか?最近美味しいルーマニア料理の店を見つけたんだ」。彼と女が画面にうつるとすぐにニコニコ動画の画面は「食事でもどう?」という弾幕で埋まる。にわかスラムダンクプログラムとか迷路で心を落ち着けるプログラムなど、大して役立たないような更生プログラムを次々と思いついては実行する男。

他にも、囚人とヤりまくる最強の女看守・通称メスブタや、心優しいセラピストのシスター・マリー、日系の神父・ムカダなど、面白いキャラが盛りだくさん。人格設定が巧い!
こういうの見ちゃうと、アメリケのドラマって日本の比じゃなくおもしれえなあ、と思っちゃう。幅が広い。あと、とことんやる。とことんつくりこむ。奥様は魔女やフルハウスのようなものから、CSIマイアミ・CSIニューヨーク、サードウォッチ、セックスアンドザシティ、24、どれもよくつくられてる。
このドラマ、DVD化してもっと普及しないかなあ。
24日に予定の入っていない女が集まって夢がいっぱいつまったお菓子の家をつくる、
それがクランプ☆クリスマス。

初年度の去年はこんな感じでした。
24日に酒呑みに行って、帰ってきて朝からつくった夢の家。
クランプはご存じの通り、漫画家のことです。
彼女たちは数人でひとつの家に住んで作業をしていたそうで、
あたしたちも35まで独身だったらいっしょに家を買おう、という願いを込めての命名となっています。
んで、今年は、

こんな感じとなりました。
昨年はその場でスーパーへ行き、材料を調達していたのですが、
今年は前もって2度の企画会議、そして設計図。
建材もクッキーから焼き上げました。
このお菓子の家、英語ではジンジャーブレッドハウスといいます。
ノルウェーではガキがクリスマスに必ずつくります。
大変な量のお菓子!!
クリスマスツリー1こ食べたらもう満足したので大学に持っていきました。
まあすんごい騒ぎになりました。
あの瞬間、小栗旬以上に写メール撮られたと思われる、この家。
その後、女子大生20人で完食。
もんっのすげえ甘いのに。
女の子パワーのすごさを痛感しました。
アリが角砂糖に群がってあっというまになくなるのと同じように、瞬殺で解体されました。
「好みのタイプを芸能人でたとえると?」ってきかれたらさ。「医龍のドラゴン先生の坂口」って答える。
今までは「コリン・ファース(『ブリジットジョーンズ』の、本命の恋人のほうの役者)」って答えてたけど、あんまり知られていないんだもん。日本人じゃないからイメージわかないらしいし。コリン・ファレルと間違えられるし。コリン・ファレル大っ嫌ーい。
外科医をお芝居するときに大変なのは、表情演技を顔の上半分でだけしかできないことです。眉毛と目でお芝居しなくちゃならない。
そ・れ・が!!
今日のドラゴン先生は完璧でした。2回も完璧でした。1、サダヲ麻酔医登場! 2、アル中先生任務完了! のときのドラゴン先生の笑顔ったら!!!!! やっべーまじやっべー杏仁豆腐吹き出しちゃったよ。我が家のテレビは毎週フヂマリのよだれまみれだよ。ニッコーって目じり下がったドラゴン先生満面の笑顔にTO☆KI☆ME☆KI
卑怯だよドラゴン先生の笑顔はさ!!
ドラゴン先生のように、現実離れしたクールキャラを見かけるたびに思うのは、「こんな人でも大学のときはフレッシュマンズセミナーで河口湖一泊旅行行ったり、必修の体育やったりしてたんだよなー」ということです。グループ発表とか、同じ班になってみてえ! 「朝田くん小児科研修用のポスターにひまわりとチューリップ描いといてって言ったのにさー、リアルな葉脈とか描いたでしょ? やめてよねー」とか叱ってみてえ!
お話自体は先週くらいから若干安っぽくなってきて、お涙頂戴の定番商品詰め合わせみたいで、ちょっと鼻について気になります。「このキャラでこういうクサいセリフいわねえだろ」ってのがちょくちょくある。でも、ドラゴン先生出てて夏木マリかっこよけりゃいいから度外視ってことにする。
来週はいよいよ中ボスと対決っぽいです。
はじめに。
あたくしフヂマリが、この世で最も愛する漫画の1つが一条ゆかり『有閑倶楽部』であることを断っておきます。10歳の頃より、この作品の、事件設定、人物設定、ありえないほどの財力、テンポの良さ、笑っちゃうほどのピカレスク・アンド・勧善懲悪を、あたくしフヂマリは心より愛し、敬意を表しております。
だからこそ。
だからこそ、このたび4ちゃんねるがこの作品をドラマ化すると知ったときから、どれほど吐き気を催そうとも1話くらいは最後まで見よう、と覚悟を決めたのでございました。
主役が松竹梅魅録だということにも、配役が赤西君だということにも目をつぶりました。
だけどやっぱ無理だった。その無理だった理由を全部書かないとあたしの60分は取り戻せない。これは、漫画原作のドラマにグチャグチャ文句言うバカ女の記録である。
まず開始5秒であたしの心は離れた。だって、松竹梅家の、武家屋敷みたいな警視総監・松竹梅家の表札が、そこいらのプリンターでさっきADがいそいでプリントアウトしてきましたっつうような安っぽい字体だったんだもーん。無理無理無理それについてこいってほうが無理。
はいどんどんいきましょう。魅録の髪の毛が長いのはまだ……我慢する。だけど可憐が出っ歯なのは我慢できないの。可憐の役の女の子って、目元と口元が下品ー。可憐も下品な性格だけど、顔立ちは上品じゃなきゃだめ。
清四郎がポッチャリくんで顎が太いのはナシ。身体がプヨプヨしてるし。不細工だし。あと有閑倶楽部の仲間に対して常に敬語なのもダメー。清四郎の良さは、内弁慶。
とにかく男性陣3名が全滅している理由の最大は、美童グランマニエ。だって、典型的日本人の顔してるんだもん。
映画『はいからさんがとおる』で、「ロシア人と日本人とのハーフの青年将校」という役を阿部寛が演じたときから20年、日本の映像界はなんら進化を遂げていないことが明確である。美童は、ハーフじゃなくてクオーター、しかもスウェーデンの血が75%ですよ? あんなのっぺらしたうりざね顔の坊主が演じる役じゃねえだろ。え、あいつもカッツンなの? へー。
唯一の勝ち組は、剣菱悠理と……白鹿野梨子がギリだろうか。
この作品の主人公は魅禄なんかじゃなくて6人全員なのに、とか、清四郎は外出するときに和服着ない、とか、制服は靴下じゃなくて、スパッツ(それこそ今流行の「レギンス」じゃん!!)とか、原作に忠実でないことは、今まであらゆるドラマ・映画が踏んできている地雷なので、こっちはもう防御シールド張り慣れてるとしても、この安っぽさはいったいなんだ。
有閑倶楽部って、日本の最高峰をいく超お金持ちお嬢様おぼっちゃんの漫画なのです。これこそ、この話のすべてを支える大黒柱。雑誌『ダヴィンチ』の「お金持ちな登場人物ランキング」でも御坊茶魔と1、2を争うのが『有閑倶楽部』に出てくる剣菱悠理なのである。そんなオハナシの根幹をいともたやすく揺さぶっちゃうのが、4ちゃんねる。
松竹梅家の表札がすべてをあらわしているんだけど、あんなのまだまだ序の口。制服はベトナム製のコスプレだし、生徒会室の机は合板だし、上流階級のパーティーで供される前菜は海老が3尾しか入ってないシュリンプカクテルだし、美童を囲んでキャーキャー言う女生徒はお金持ちのお嬢さんがたとは到底思えないような、イメサロ「平成女学園」から借りてきたとしか思えないようなチャラい顔の女ばっかだし、極めつけは彼らが通うボンボン高校の理事長。「掃除のおばちゃんはオリジナルキャラかー」と思った、その掃除のおばちゃんが理事長だとわかったとき、あたしは本日最大級にのけぞったね。本当はイギリス人のマダムなのに……。
そう、4ちゃんねるのドラマに共通することは、この安っぽさである。今まで何百本とドラマつくってきてるのに、まだわからないのか4ちゃんねる。テンポとかストーリーテリングとかはどうせヘタクソなんだから、せめて見た目だけでも勝負かけたらいいのに。これが10ちゃんねるの木曜20時、『ガラスの仮面』とか『エースを狙え』とかつくってた元祖漫画原作ドラマ枠とか、おなじく10ちゃんねるの木曜23時、『夜王』とか『夜叉』とかやってた深夜漫画原作ドラマ枠とかだったら、まだ我慢できる。でも、天下の4ちゃんねるだぜ?
あたしは全然面白いと思わなかったけど、6ちゃんねるの『花より男子』、松本潤がそっくりすぎておおー! とか、ストーリーはほぼオリジナル(だと思いたい)だったけど、8ちゃんねるの『アンティーク~西洋骨董洋菓子店』の美しいケーキ&マホガニー調の店内セット&食器、とかみたいな、漫画原作の第一歩である「原作とそっくり感」ってやつを、せめて、せめて、気遣ってほしいと、切に願うのである。だって、視聴者を魅了するのは、まずそこじゃん。そういう意味で、8ちゃんねるは、まだ許せるよなー。『のだめカンタービレ』はあたし原作より好きだったし、『医龍』や『ドクターコトー』なんかもとっても良かった。
……という、あたしの意見は正しくないってことも、わかってる。わかってるの。この有閑倶楽部というドラマは、有閑倶楽部の愛読者なんか相手にしてないのよ! カッツン出しときゃおめえらキャーキャー言うんだろ、ってことなのよ! それがゲーノーカイってやつなのよ。聡明なフヂマリは重々承知です。
こんだけ文句ばっか言ってるだけじゃ悔しいから、今後、フヂマリがテレビ業界を買収したときのために、配役を記しておこう。とりあえず美童グランマニエはウエンツ瑛士ね。彼しかいないだろ。顔立ち、外見は眉目秀麗なのに中身はめちゃくちゃヘタれな性格、完璧じゃん。清四郎は顎がもっちりしていない玉木宏なら、悠理と野梨子はそのまんまでもいい。魅録も赤西君って人でもいい。でもできれば瑛太がいい。赤西君にはそのきったねえ髪の毛ばっさり切って、ハイブリーチにしてもらおうか。番組の話題づくりってことでさ、『医龍』の荒瀬・阿部サダヲと同じ美容室に行ってもらおう。外見イメージはテニスの王子様の亜久津仁。
心が荒んだので、COWBOY BEBOPのエドのコスプレ写真を見ながら、今期見続けようかと思っている『医龍2』のことを考えようっと。
これは面白い。岸部一徳はあいかわらず死んだ魚の目をしてるし、夏木マリはかっちょいいし、荒瀬の甲高い声は冴えてるし、小池徹平はかわウザいし、佐々木蔵之助の馬面はいつみても素敵。前作で唯一、あたしが嫌いな役者だった稲森いずみが、2には出てこないってのもイイ。
新生児のロボットにかなり気合が入ってて、だからこそたくさん画面に映しちゃっててロボットだってヴァレヴァレなところだけが初回のネックで、それ以外は音楽・ストーリー・カメラワーク、どれもやっぱ面白かった。
何より前作で我が評価を覆した坂口憲二! 彼はイケメン史的にいえば、反町隆史&竹野内豊の次に現れた坂口憲二&伊藤英明グループなわけで、2002年放送のドラマ『恋ノチカラ』のときみたいな、無駄に明るくていい奴~、なばかりの男の子だと思っていたのに、もう、もう、マッシュルームラリ男こと伊藤英明なんかぶち抜いたね。海の猿野郎なんかはるか後方だ。医龍のドラゴン先生みたいな渋い役ができるようになる日がくるなんて思いもよらなかった。夜中に病棟の屋上で上半身裸で太極拳みたいな「手術のイメージトレーニング」やってるところはあいかわらず笑えるけど。
『医龍2』を見ながらヘコんだのは、ドラゴン先生の敵役だった霧島先生が出てきた瞬間、ドラゴン先生・霧島先生・かわウザ小池、の三角関係オタンビを思いついた自分に対してだけでした。
とりあえず霧島総受けで、ドラゴン先生の昔の恋人なのね、霧島が。でもドラゴン先生の今の恋人はかわウザ小池で、この二人にちょっかい出してやろうと思って、小池に近づくわけよ。通常のBLだと、当て馬・霧島は小池を手籠めにするんだろうけど、あたしの場合は霧島総受けだから、小池に睡眠薬盛って、あとドラゴン先生にも局所麻酔打って(ちんちんが使い物にならなくなったらこまるから)、ドラゴン先生を騎乗位レイプin 手術室、と。そういや昔、医者モノBLで、受のケツの穴をエタノールで消毒する鬼畜攻がいたなあ、直腸エタノールで拭いたら腸内細菌死んじゃうよなあ……というようなことを、あれだけ深刻&ドラマティックな2時間半ドラマ見ながら考えていたわけである。
なんかケツの穴の話になっちゃったから、最後にもう少しかわいい話へ持っていこう。
今期カワイイと言えば! そう! 『もやしもん』です。
深夜0:30からのアニメですが、これ、オープニング5秒見ただけで「かーわーいーいー」と叫ぶこと間違いない。
菌が見える農大生の話で、深夜アニメにも関わらず、この、主人公が見える菌たちの作画にかなり気合が入っている。3Dスタッフ多すぎじゃね。
原作では適当に書かれているその他大勢の菌たちもきっちり書かれていて、「どうやってしゃべるかなあ」と憂慮していた声も「これしかない!」というかわいらしさで、素晴らしい。この作者の手にかかるとO-157もノロウィルスもインフルエンザウィルスも「かーわーいーいー」になってしまうのが困るほどである。
「醸すぞ」を今年か来年の流行語大賞にするためにあたしは毎週見るぞー。かもすぞー。
ウィンブルドンが終わりました。
ラケットを握ったこともないフヂマリは7年前くらいからテニスを見ているのですが、今まで誰も共にハマってくれる人がおらず孤独な戦いを強いられていたあたしに、今年はジェーンさんという味方ができました。そうです、テニプリからの流れ者です。小田もこっち来い!
スポーツ観戦の中でいちばん好きなテニス、その良さは当初、女が二人だけで2時間「っあああんっ」って雄叫びあげながらガチンコ勝負し続けるっていうところでした。そりゃあヒンギスもシャラポワもツンツンした女王様になるわけだよ。だってコーチもいない、味方選手もいない、信じられるものはおのれのみという状況のコート内で闘うわけでしょ。15歳とかで世界ランク1位とかになるわけでしょ。「あたしが世界でいちばん!!」って思うようになるに決まってるって。女王様好きのフヂマリにぴったりのスポーツだ。
それから、女王様が落ちていくのを見るのも好きです。その意味でダベンポートという選手がお気に入りでした。世界の頂点を何度も経験しても、流行プレイスタイルの変化とか加齢とかの波は必ず襲ってくるわけで、1位じゃなくなるわけです。頂点で引退するのもかっこいいけど、おちぶれても続けるのもかっこいい。
今回のウィンブルドンの女子シングルス優勝者・ビーナスウィリアムズはまさしくコレでした。2002年の、世界中が圧倒された、最高時速200kmのサーブ打つ女子パワーテニス到来の時から確実にその勢力を落としたウィリアムズが、ランキング30位台から頂点を奪還する、このかっこよさは落涙もの。うわわわああん勝ってよかった!
最初は女子が好きだったのですが、4年前くらいから男子にもハマるようになった、その理由は現在世界ランク2位のラファエルナダルという選手のおかげです。あたし、サッカーにしても同じですが、ひたすら走る、とか、意地でも取る、とか、そういう泥臭い選手が好きです。サッカーでいったらイタリアの「狂犬」ガットゥーゾとかチェコのネドヴェドとかみたいなプレイスタイル。ナダルはまさしくそれ。ラリー戦になったら強いタイプ。現在ランキング1位のフェデラーと二強時代といわれているんですが、このフェデラーが秀才タイプでつまんないんだ。完璧なプレイ。テニスの王子様で言ったら青学の手塚と四天宝寺の白石を足して氷帝の長太郎のビッグサーブ加えた、みたいなやつ。安定感、精神力、集中力、どれをとってもパーフェクトで意外性がない。性格も良い。つっまんねえ男。フヂマリはクセのある子が好きなので、ナダルがいいのです。
で、昨晩はナダルVSフェデラーの決勝戦で、結局今回もナダルはフェデラーに勝てず準優勝に終わったのですが、それはまあいい。今回のウィンブルドンのみどころは試合じゃねえ。
ウェアだ。
ウィンブルドンはイギリスらしくいろんなきまりごとがあり、ウェアも「白でなくてはいけない」となっています。ビーナスウィリアムズや妹のセレナのようにチョコレート色の肌にこの白いウェアが映えて美しいこと! 胸のでかい妹はスカートタイプ、細身の姉ちゃんはリーボックのピッタリとしたホットパンツタイプで、かっこいいことこの上ない。ベストファッション賞はウィリアムズ姉妹で決まりです。
ナダルはいつものとおり、はちまき&膝下丈ズボン&ノースリーブ。テニプリでいう海堂ファッション? 契約はナイキです。この膝下丈ズボン、このズボンほど世界中で激ダサな丈はないと思う。イタリアおよびスペイン系の男がよく好んではいているけど、あと観光地でよく白人男がはいてるけど、これ、誰がはいてもバカにしか見えないというすぐれもの。ふくらはぎ丈のスポーツウェア。女の子がカプリパンツやヨガパンツはくのはまだかわいいのに、なぜ男がはくとバカっぽくなるんだろう。ナダル、もう10cm、ズボン丈をつめてほしい。
でも、ナダルのダサさなんかマダマダダネでした。
ウィンブルドンのワーストドレッサー賞は男子フェデラー、女子シャラポワで決まりだ!
入場段階から両者とも度肝を抜くファッションセンスのなさを発揮。シャラポワは肩がパフスリーブになった!!七分丈の上着ジャージ。何ソレ? 名づけて「メイドジャージ」を着て出てきます。こいつを脱ぐとその下から現われるのは「えんがわウェア」。スカートはフワフワひだつき、背中にはヒラヒラ羽根がはえているのです。白鳥イメージ、なのだそうですが、どう見てもこれ、エヴァンゲリオンかヒラメのえんがわにしか見えない。
フェデラーは「宗像仁ファッション」。エースを狙う男がそこにはいます。さすがだねっ☆一試合でサービスエース(返されることがないサーブ)30本打つのは伊達じゃないねっ☆
彼は紳士☆なので、ジャージなんて着ません。白いやわらかい素材のジャケット!! および白パンタロン長ズボン!! プラスはちまき。「これなんの罰ゲーム?」というメールがジェーンさんからきました。このズボンすぐれもの☆で、左右両側がフルジッパーになっており、シュルルンっとジッパーをおろせば、男性ストリッパーのようにズボンが脱げるの。よっこらしょってずりおろさなくても脱げるの! ナイキのデザイナー出てこい!! 一発殴らせろ。
フェデラーは下に着ているウェアも、靴も、はちまきもステキです。ぜんぶゴールド☆ ナイキ特有の、あの光らない、うんち色のゴールド。さらには「ロジャー・フェデラー」の頭文字であるRFが燦然と輝いてます。バッグだって特注☆ 趣味の悪い白キルティングに金色でRFの刺繍! それどこのサマンサタバサ?
シャラポワもフェデラーも契約がナイキ。ナイキのウェアおよび靴デザインのダサさはいったいどうしたことだろう。アディダスやプーマ、リーボックが21世紀に入ってデザイナーを入れ替え、ブランドイメージを一新してかなりオシャレイメージアップしたのに対し、ナイキは完全に出遅れました。ひどいね。色・模様・デザイン、全部ダサい。イモっぽい。重い。なぜこのデザイン企画が通るのか。なぜ誰もフェデラーとシャラポワを止めなかったのか。
次は全米です。プレイよりもウェアから目が離せない。
「いまを生きる」 さいころ4つ
全寮制の有名ガリ勉進学校に赴任してきたロビンウィリアムス演じる国語の先生が、柔軟な授業を繰り広げ、生徒達に影響を与えていく青春話。
ロビンウィリアムスって、本当に、こういう「少し世間一般の人とは違う感性を持ってハズれている人」やらせたら映える。好きな役者のひとり。
出てくる生徒役の子たちが、みんなそれっぽくて、ガチガチだった授業とうってかわっていくのに刺激されて目がキラキラしていく演技とか、受験勉強だけではないのだ、ということに気づかされていく展開方法が自然で、最終的にオトナと世の不条理には勝てなかった時の、落胆と、そして対抗心の出しかたまで、感情の流しかた、キャラクターのつくりかた、すべて素晴らしかった。
全寮制プライベートスクールって、やっぱエロい! 日本人だけでなく世界中が大好きな設定だ。飛ぶ教室とか、ハリーポッターとか。特にあたしが好きなのは、私立のお金持ち校にいる、あんまりお金持ちじゃない子と、そんな彼と、偏見や同情なんてものナシに、ごくごく普通に友だちづきあいしていく、育ちの良い子の関係。
じゃあ、ここまでお気に召したのに、なんでさいころ4つかというと、自殺という素材の使いかたがあんまり巧くなかったから。青春&自殺、なんてありがちなものを最高に生かした「17歳のカルテ」から比べると、格段に劣っていたのが残念。
オチのつけかたは悪くなかったけど。
評価とは別に、もう1つ感じたのは、欧米文化における「詩」というものの位置づけ。日本の「国語」の授業で、あるいは表現文化の中で、詩ってあんまり深く根付いていない。あたしに詩を楽しむ習慣がないからかもしれないけど、でも、中学高校の現代国語の教科書にだって、大して出てこない。自分の好きな詩をいくつか暗誦できる日本人なんて、ほんの少ししかいないんじゃないかしら。それに比べて、アメリカ・ヨーロッパ文学には、1000年以上前から、詩というものが明確に存在している。自国の詩人だけでなく、言語すら超えて、ある。ロビンウィリアムス演じる国語の先生も、詩に重きをおいていた。人との会話の中で、短く引用するようなシーンが、欧米映画にはよく出てくる。ノルウェーで、ノルウェーの文学研究の授業を受けていた時も、この壁に、戸惑ったのを覚えている。それは、フヂマリが、まどみちおと谷川俊太郎を愛する、なんてレベルの「詩」ではなくて、もっと「文学」に近くて、一行が長かったりして、時代によって音読の方法が違うとか、韻の強弱が違うとか、今までに経験したことのないジャンルで、どこを楽しめばいいのかも今いちよくわからず、同じクラスのヨーロッパ人たちが特に苦しむことなく理解しているのをうらやましく思った。詩を楽しむ、好きな詩がある、暗誦できる、って、美しい文化で、憧れる。
「グロリア」 さいころ3つ
ヒスパニック系マフィアの会計係の妻の女友達が、その妻から子どもを預けられて、妻と夫とその子のお姉ちゃんは裏切り者として惨殺されて、男の子だけ、その女友達と逃げる話。逆レオン、みたいな、なんかそういう話。
あたしの愛するニューヨークは、浄化される前の、1990年くらいまでの、初期山田詠美とBANANA FISHの世界で、今、タイムスリップできるなら行ってみたい場所のベスト5にはランクインする。ちなみに第一位は安土桃山時代くらいの堺。二位は唐代の長安。
きったねえ地下鉄、ボロいタクシー、銃とかヒスパニックとかブロンクスとか、そういう、いわゆる「ニューヨーク的なるもの」たちがたくさん出てくる映画で、もうそれだけでさいころ3つ分だ。
女も、美人じゃなくて、でも寝たいって思わせる年増で、脚のラインが美しくて、プラダでもグッチでもないアバズレなファッションもかっちょよい。美人じゃなくてもエロくて強い女、大好き!! ブバババババって何のためらいもなく発砲して、「こっちにおいで、来れるもんなら来てみな」って捨て台詞吐くのなんか、超かっこいい。
すべてのシーンが断片的で、細切れで、ひとつの作品として成立してないので、途中で飽きる。ストーリーが、まったくもって流れない映画なのは、80年代っぽい。面白くないけど、嫌いじゃない。
「プラダを着た悪魔」 さいころ4つ
田舎から出てきたジャーナリスト希望のダサい女の子が、何の間違いか、世界でいちばんファッショナブルな一流ファッション雑誌のデスクに配属されちゃって、周りの人たちからバカにされながらもどんどん洗練されてって、頭はもともと悪くないからどんどんのし上がっていくけど、やっぱり自分を偽っていることに気づく話。
「やっぱり自分を偽っていることに気づく」ってオチがつかなかったら、さいころは5つになっていたかもしれない。強くて冷たい女、大好きだから。
出てくるファッションはまったくもって完璧で、美しくて、「その服買う金、どっから出るんだよ、もらえるのか、そうか、いいなあ」みたいな疑問はちっぽけすぎて忘れるくらいなのだが、フヂマリの趣味からは完全に逸脱しているので、あたしの場合は、欲しくなるアイテムは1つとして出てこない。よって、安心して「キレー」「かわいー」と見ていられる。
プラダも、エルメスも、D&Gも、あたしは全っ然欲しくならないブランドである。これが、イッセイミヤケ、ヨージヤマモト、コムデギャルソン、ケイタマルヤマ、ベルンハルト、ホコモモラなんかだったら、んもう大変なことだったろう。チュウの靴じゃなくてカンペールだったら、出てくるもん全部欲しくなっちゃって、金銭感覚狂ったまま、帰りにビームスで何か買ってたかもしれない。危なかった。よかったよかった。目の周りが黒いメークも、美しいとは思うけど趣味かっつうとそうではないので、「あたしもああいう格好したいの!!」という欲求に襲われることもなかった。
ストーリーも、絶対悪い人出てこないし、誰も惨殺されないし、自殺しないし、安全安全。予想通りで嬉しい。
主人公に絡んでくる男2人が両方とも気持ち悪いのがちょっと気になる。コック志望の彼も、ジャーナリストの当て馬くんも、瞳はとってもきれいで良いのだが、それ以外が……。劇場を出て、いっしょに観に行った3人と最初に声を合わせて言ったのは、「自分の誕生日に彼女が仕事で遅く帰ってきたからってスネてる男なんて、絶対にイヤ!!」ということだった。それにすべてが象徴されるであろう。
当て馬くんもなあ、もう少し裸がシェイプアップされていたら惚れたのに、あのブヨブヨおなかはいただけない。
さいころの内訳は、ファッションアイテムに2、メリルストリープに1、主人公の得意先からの電話対応「ガッバーナ(ドルチェアンドガッバーナ)って、どのようにスペルを綴るんですか?」という台詞に1。あたしがいちばん笑ったシーンは、ここだ。名台詞だ。
登場人物の中でいちばん輝いていたのは当然のことながらメリルストリープだった。完璧な着こなし、細いわけではないけど美しい身体のライン、強くて賢くて冷たい女。と、オフの時の、ノーメイクの表情とのギャップの出しかたが完璧。この人、こういう仕事受けるから、すごいと思う。くたびれた中年女の表情出しちゃうのとか、大好き。
アンハサウェイは共演女優に恵まれているなあ。ジュリーアンドリュースとメリルストリープに育ててもらってると思う。でも目がでかすぎて、ちょっと気持ち悪い。取れちゃいそう。
「王の男」 さいころ4つ
大本命はありえねえことに、初日に観に行くこととなったのである。
ありえねえ!!
初日に韓国映画観に行くなんて!
劇場で先着何名様のプロマイドまでいただいちゃったよ。韓国映画は、今まで大した本数観てないけど、でも、1本として面白かったことがないジャンルなのである。そんなあたしの脚を動かした、財布の紐を緩ませた、オタンビパワーというものは、これほどまでに強いのか。
そう。それほどまでに強いのである。だから感想もグチャグチャある。
まず、観る前の感想。
1.王様・身体を売る芸人・その芸人の幼馴染み、というホモ三角関係をひたすらに熱望していた。できることなら「LOVERS」の金城武VSアンディラウみたいに、恋敵同士が決闘して、両方死んで、両方から愛されていた子だけが生き残って、胸に残る愛情とか後悔とか自己の生への恨みとかでグッチャグチャに苦しむ、みたいなくらーい話がよかった。イタい設定にまみれる美人受バンザイ!
2.「身体売る芸人」の男の子演じる役者の顔も、映画観る前から好みだった。こういう、中村七之助とかミッチーとか女なら山本未来とか外人ならジョシュハートネットみたいな、切れ長の涼しい目元があたしは好き。この映画の彼の場合は、あの目の下の、ぷっくりした部分がなければ、あたし好みの「受っ子」として完璧だった。この目で流し目するとセクシーさ100倍。
で、観た感想。
幼馴染みの芸人2人が王様のことバカにする大道芸やって、官吏に捕まって、王様を笑わせられれば死罪じゃないってことになって、王様笑って、気に入られて、お抱えの芸人になって、王様は女形だった男の子のほうに惚れて、男の子も王様の寂しさに同情して、王様の妾はそれに嫉妬して、幼馴染みの芸人もそれに嫉妬して、幼馴染みが王様の怒りを買って、目つぶしされて、平民たちは芸人なんかと遊んでる暴君への怒りをつのらせる話。ハッピーエンドとは言い難いが、ラストシーンはみんな笑顔。そして死の予感。
1.開始5分で、地方貴族にヤられそうになる受っ子(コンギルって名前)の腹の肉が脱がされそうになってる下帯の上にちょこんと乗っかっている画面に吠えかかるフヂマリ。これは許されないことである。コンギルの体重はあと10kg、少なくとも5kgは少なくなければならなかった。コンギルの細さは絶対必要条件である。中世アジアの、何枚も重ねて着る衣の、その厚い上衣の上からでも腰の細さが想像されるくらいでないと、エロくないじゃん!耽美じゃないじゃん!! そう、あたしがこの映画に求めることはただ2つ、エロ&耽美、であった。あばらが浮いてるけど、でも不健康ではなく、肌は張ってる、腰はあくまでも細く、おしりはプリっと、が理想だったのになー。残念。
2.幼馴染みの男が、もう少し筋骨隆々だとよかったのに。韓国人男の何が嫌いって、この、ぶにゅんってした身体つき。なんでだろう。同じ北アジア人なのに、面白い。日本の男は細く、中国はわりとがっしりしてて、韓国はブヨブヨしてる。スポーツでいったら野球選手の、確かに筋肉なのかもしれないけど、サッカー選手みたいに引き締まってない感じ。水っぽいの。これがイヤ。硬く引き締まった身体が観たかったなあ。
3.エロくない!!! 中国映画なみにはエロくしてほしかった。韓国映画って、やっぱりまだまだ性描写に拙いので、社会的に許されてないからかもしれないけど、おしりの触りかたも、キスの仕方も、中学生の恋みたいで気持ち悪い。こっちが恥ずかしくなる。どうせホモやるなら、とことんこだわってくれ。とりあえず、少なくとも、王様とのキスシーンは、舌を入れろ!顎をひっつかまえてでも口を開けさせろ!! 日本のテレビドラマもそうだけど、もう、その、唇完全に閉じた状態でのキス、やめようよ。だったらすんなよ。キスは唇をくっつけるんじゃなくて、食べるんだよ!
全部脱げとかちんちん出せとか実際にベッドシーン見せろ、とかそういうことではない。ポルノは見せてなんぼ、オタンビは見せないでなんぼである。その、見せないエロさを追究してほしかった。王様の肩の衣つかむ指先の皺で快楽を表わすとか、王様の居室からコンギルが戻ってくる場面で着衣の乱れがあるとか、そういうオタンビが観たいの。腐女子にオタンビ映画撮らせる金をくれ!
男同士のエロシーン撮らせるなら、男の監督より女かもなあ、と思う。ストーリーはわかんないけど、その瞬間の映像美のみを探求できるのは女なんじゃないかしら。
出てくる役者は、全員巧かった。良い役者ばっか。特に北村一輝みたいな王様・仲間由紀恵みたいな妾・芸人の子分の鶏役。レベル高い。衣装も装飾もセットもちゃんとお金がかかっていて安っぽくない。
さいころ評価は4ですが、フヂマリ脳内で勝手に繰り広げられた妄想も含めてなら、文句なしの6だ! 映画を追いながら、あたしは頭の中でまったく違うストーリーを、同じ登場人物つかって繰り広げていた。まあとにかく、すんげえ楽しんだことは確かだ。
これ、エロをにおわせるシーンだけでも、あたしか、ウォンカーウェイに撮らせて!! 俳優が逃げるかもしれないが。
今後観たい映画……墨攻!!!
さ、酒見賢一が実写になるとは。落涙。垂涎。
ついでに流行の三部作化して、第二弾「後宮小説」、第三弾は真打ち登場の「陋巷に在り」で決まりだ!ってのはどうでしょうか。少なくとも「エラゴン」よりはマシだと思う。
三丁目の夕日 さいころ5つ
昭和30年代初頭の東京の町角を描いた人情劇。
小さな自動車工場・鈴木オートを中心に、集団就職で田舎から出てきた六ちゃん、文学崩れの駄菓子屋、親に捨てられた少年、ストリップあがりの女が家族愛に気づいていく話。
小3の頃から好きだったマンガ、父が愛したマンガの映画化。
原作を読んだ頃から、「鈴木オートのお母さんは薬師丸ひろ子だな」と思っていたので、実際にそうなって大変ビビった。堤真一も見た目がとっても似ていた。
茶川先生役の吉岡秀隆と、小雪があたし、あまり得意でないけれど、演技力でカバー。
欠点は、薬師丸ひろ子以外のキャラクターが、原作とまったく違うところ。変えなきゃならなかった理由が見あたらない。
けれど、原作と別物で、昭和30年代を味わうのだ、と考えれば、さいころ5つは妥当。
もともとあたしは、「今まで何も持たなかった不幸な人が、何かを手に入れ、そしてそれをなくしそうになり、恐れる」という王道の筋道が、大大大好物シチュエーションである。オタンビだけにとどまらず、とにかく好物。愛に初めて気づき、そしてそれを失うかもしれないという時になって、「ああ、どうせなくしてしまうのなら、こんな感情、知らなければよかった!」と悔やむのとか、んもう、たまらなく好き。
親を持たず親戚中からたらい回しにされて、ようやく茶川先生と信頼関係を築いた淳之介も、親に勘当され町の人からもバカにされ何年も孤独に生きてきた後に淳之介と家族愛を感じる茶川先生も、ミソっ子として田舎から出てきた六ちゃんも、とにかくこの映画にはそういう人ばかり出てくるもんで、あたしのツボは刺激されっぱなしで、鼻水と涙がぐじゅぐじゅになりっぱなしで、この状態で「うーん、今イチだからさいころ4つ」とは言えないまでに追いつめられた感じ。
昭和後期生まれのあたしが見ても、「そうそう、あたしのちっちゃい頃は大宮駅って、電光掲示板じゃなくて、行き先書かれたプレートが駅の改札のところにひっかけてあったなあ」とか、「改札には人が立っていて、キップの裏が白かったなあ」とか、昭和のハシッコの部分で「郷愁」みたいなものを感じてはしみじみするのだから、鈴木一平くんと同い年くらいの、今のまさしく団塊の世代くらいの人たちが見たら、そりゃあ大泣きなんだろう。
デスノート さいころ3つ
死神が落とした「人を殺せるノート」デスノートを拾ったねじ曲がった正義感のかたまりみたいな青年VS天才事件解決青年の死闘のお話。
この映画に関して言うべきことはただ2つ。
1.ライトくんが好物のリンゴくれなくて、無視されて、天井で「りんごくれー!!」っておねだりする死神にさいころ1つ。超かわいい。総受決定。
2.天才青年Lの演技にさいころ2つ。こいつはすげえ。あたしは原作1巻で挫折したけど、それでも、原作を超えたと思う。視線の使いかた、ものの食べかた、紅茶のカップ持つ小指の先まで完璧に計算された演技をしている。テレビの前で思わず叫んだよ。舞台荒らしって感じ!どういう方向性で役をつくっていきたいのかが、伝わってきて、しかもそれが成功している。こいつぁすげえ。Lが出てきた瞬間から、もう、藤原竜也なんか目に入らなくなっちゃった。
制作者の、原作に対する愛っていうか執着心っていうかオタク心っていうか、そういうものが圧倒的に欠けているから、いろんなことが雑に見える。って、原作たいして読んでないあたしに言われるって、どうなの? 原作が好きで好きでつくっちゃった、っていうよりは、この原作がカネになりそうだから、ってにおいがほんのりしているのが気になる。
原作に漂う思春期臭が完全になくなって、設定が大学生になってるあたりは、あたしは好きだったけど。
いやあ、それにしてもLはすげかった。
シュレック2 さいころ3つ
バケモノになったカップルに、遠い国に住んでるお父さんとお母さんから結婚パーティのお誘いがきて、行ってみたらやっぱりバケモノ扱いされて、シュンとするけど当て馬も出てきて、陰謀も解決して、結局みんなに認めてもらう話。
シュレックについていく「長靴を履いた猫」は怪傑ゾロのパクりなんだけど、その声がちゃんとアントニオバンデーラスだったところにさいころ3つ。この人の顔が、あたしは濃すぎてオエーって思ってたけど、こういう仕事選ぶってところから、株が上がった。好きになった。やっぱり役者には、「茶の味」の草薙剛とか、ドラマ「孫悟空」の1回目の木村拓哉とか、あれおかしいなSMAPばっかだ、けど、そういう、仕事の選びかたってもんがある。出ると好感度アップになる。そういうのにいちいちツンケンして拒否する役者って、つまんない。笑って出演しなきゃ。バンデーラスはそれができる子でうれしい。
いろんな映画のパクりかた、テンポの良さ、は、やっぱりハリウッドで、でもあっさりしていて媚びなくて、一流だった。
でもやっぱり二作目のサガで、ストーリーはダレるんだよなあ。もったいない。
おまけ:今後見たい映画
1.韓国映画「王の男」
わかりやすくて恥ずかしい。
女装の男と、その相方のワイルドガイ、両方とも、韓国男苦手なフヂマリにしてはめずらしく、好みだったからです。
女装の男と旅芸人でカップリング成立決定!
切れ長の目元も、ミッチーみたいで美しい。
それが見たいだけ。
旅芸人の相方の男と、それから王様と、両方と寝たらいいのになー。そういう話だったら、もう他のことどうでもいい、さいころ6なのになー。
2.「プラダを着た悪魔」
雑誌の編集長やってるおばさんが好きだからです。
こういう、絶対ハッピーエンドは、生活がすさんでいる時に無性に見たくなる。
安心したいのかもしれない。

えー、麗しのH姫が聖闘士星矢にハマられていらっしゃるのを見ていて、フヂマリが思い出したのは「天空戦記シュラト」でした。
星矢はあたしが幼稚園くらいだったのであんまりよく覚えておらず、その後釜的アニメだったシュラトのほうがインパクトがありました。
この頃から、んもう、オカマキャラが好きで、声優・井上和彦のイメージはイマでも迦楼羅王レイガのオネエ口調です。
このあたりの記憶から曖昧になり、yahooで「天空戦記シュラト」って調べたらWikipediaが出てきて、それはそれは詳しく説明してくれて、あかほりさとるが脚本やってたとか主役の声が関俊彦だったとか、鎧の名前がシャクティだったのとか、いろいろわかってきて、そっか、これ1989年か、うっわー、声優オタクだった頃のあたしの昔取った杵柄みたいな部分とかがガシガシ刺激され、そのままWikipediaリンクを飛びまくること2時間……。
Wikipedia面白い! はてなダイアリーより文体が辞典っぽいのに主観的だったりして面白い!
まずオカマキャラといえば「シュラト」のレイガからきて「サイバーフォーミュラー」の加賀とか、顕著なとこだと「ふしぎ遊戯」のヌリコなんかで、ってリンク見始めたら、ふしぎ遊戯の音楽が本間勇輔だったりして、ふしぎ遊戯の名言といえば「たまほめ、あたし、汚されてなかったよ!」で、うわー18時のおこさまアニメで敵の男に汚されるとかやるんだー、と思った記憶があって、そういやテレビ朝日土曜日19~20時枠のアニメって、もうなくなっちゃってさみしいな、おぼっちゃまくん→パプワくん→スラムダンクと続く流れとか、オカマ3人出てくるセーラームーンとか、そういえばあかほりさとるって今なにしてるんだろうとか、井上和彦と漫画家・いがらしゆみこって結婚してて、その間に生まれた男の子がジャニーズJr.入ってたりして……声優のリンクかたっぱしから見てみたり、テレビ東京の平日18~20時くらいまでの一連のアニメ作品全部調べたりしてたら懐かしさからウヲー!と叫び、涙まで出てきました。あたし、高校2年生まで、ほとんど見てたわ、テレ東アニメ。「キャッ党忍伝てやんでえ」とかの時代から始まって、「エヴァンゲリオン」「リューナイト」「エスカフローネ」くらいまで。
なーつかしーなー。あんなに好きだったのに、どうして今「ブリーチ」とか見ても、心が反応しなくなっちゃったんだろう。
観たくなっちゃうじゃないですか。ダヴィンチコード。
カンヌの記者上映では失笑すら漏れるほどだったそうじゃないですか。その後の一般上映では大好評だったそうですけど。
ニューヨークタイムズの映画評は、失笑どころか大こきおろし大会だったのも気になります。
What's up with Tom Hanks's hair?
「トムハンクスの髪型はどうしちゃったの?」
から始まり、シラスの説明なんか、
The albino monk, whose name is Silas and who may be the first character in the history of motion pictures to speak Latin into a cellphone
「シラスという、おそらく映画史において初めて携帯電話でラテン語をしゃべった登場人物であろう、アルビノ坊さん」
だし、
I certainly can't support any calls for boycotting or protesting this busy, trivial, inoffensive film.
「この騒がしくて、くだらない、害にもならない映画に抗議したりボイコットしたりする人々を支持する気になどなれない」
とまできた。
そこまで言われたら、ねえ。観たーい。
ワウワウワー!
ネタばれというほどではありませんが、匂わせストーリーバレがあるので、今からプレイする上で、まっさらな状態を望む方はご注意ください。
こういうののネット感想って、どう書いてもバカっぽいですが、書く側にしてみれば書かないではいられないのです。映画を観た後とか舞台を観た後とか本読んだ後とか、あたしは部屋をまったくの無音にして感想独り言を声に出さないではいられないのですが、ゲームだとなおさら。だからあたしもやる。興奮に身をまかせ、長文を書いちゃう。
ファイナルファンタジーXII さいころ5つ
「ブランド」でものを売ることの凄まじさを見た気がします。やっぱすげえわ。スクエアってすげえわ。FFってすげえわ。
ネット上でもすんごい数の人たちがあーだこーだ言っていますが、「確かにキャラはいいけど」とか「確かに○○だけど(+否定形)」ってフレーズを使ってる段階で、その人はこの作品を嫌いではない。
予約開始の段階でamazon1位で、発売1週間で160万本、でしたっけ、売ってるゲームがつまんないわけがない。
ゲームで号泣、初体験の一作。
FF12の良さはすべて、パーティメンバーの1人、バルフレアに集約されているということにしたいと思います。
声良し、顔良し、台詞良し。服装は鼻血モノ。その膨らんだ白い袖と、絞られた腰は乙女の煩悩のかたまりみたいだ。移動する時はいつもバルフレアを操り、カメラアングルを後ろ斜め下にし、ケツばっか見てた。これをハァハァと言わずして、何がハァハァだ! あたしの嫌いなもみあげは帳消しだ。安っぽい片耳ピアスじゃなくてきっちり両耳ピアスなのも好き。父との葛藤ありーの、「俺がこの物語の主人公」と豪語する度胸ありーの、女の子にもてもてーの。しかも連れてる女の趣味が良い。年下なのが嘆かわしいけど連れてる女は確実に年上だから、わりとそっちもイケるらしいってことで納得することにする。低い声のクールセクシー連れてるなんて、できすぎ。機械もいじれる「相棒」な女って素敵。王女様も彼のことがお好きみたいだけど、悪いけどフヂマリとしてはバルフレア×フランだから。二人の信頼関係は絶対だから。
めずらしく仲間の女の子全員わりと好みで、最後の敵を倒したのも女の子3人パーティだった。
エンディングを見ながら「最後の敵でバルフレア使わなくてごめんなさい!!」と思いながら号泣。バルフレア、あんたが確かに主人公だった。だって姫様が叫ぶ最後の一声までもが「バルフレアーっ!!」だったんだから。ボス戦で緊張しててメンバー入れ替える余裕なくてごめんなさい。あなたでクリアしたかった。
ただただ気になるのはストーリーの脆弱性と主人公の存在意義。
FF5やFF6があれだけ面白かったのはやはり、正統派RPGの、最初にガツンと圧倒的な悪意を知り、戦慄し、共通意識のもとに今まで他人だった人々が出会い、勝ち目がなさそうだった「悪意」を、打ち砕けるだけの力を持っていく、という一貫性だったのだと思うのだが、それがない。
主人公さえいなければ、その一貫性は「汚いやりかたで帝国に滅ぼされた亡国の王女が、その気貴き意思のもと集った仲間たちと国の再建を目指す話」ってところでまあ納得がいくかもしれない。
しかし、主人公。先の大戦で家族を亡くし、戦災孤児として日々のらりくらりと生きて、田舎町の地下道でどぶねずみを倒してはその遙か先に漠然と帝国への怒りを見出してる程度の君が、なぜ彼らについていこうと思ったのか。「兄ちゃんを殺したやつを殺す」とか「帝国に俺も復讐したい」とか「お姫様がキレイだったから」とか、あるいは「面白そうだなって思ってついていったらすんごいことになっちゃった」でもいい、そういう目的がまったく見えない。ただただ流されていく。あたしが他のメンバーだったら「なんでこの子ついてきちゃったの」って思うだろう。その、「壮大な旅への共通認識が弱すぎる」ってのはあたしの好きなバルフレアにしても言える。
姉が気ちがいのようにプレイするのをたまに見ていた弟ですら「こいつ、FF6のロックより存在感ないね」とつぶやいていた。そうなのよ。ロックの場合はね、彼の存在感がないというよりは周囲が、敵も含めて、濃いキャラばっかりだったからだけど、12のこいつは、こいつ自体が薄い。
というわけで、主人公にまったくもって肩入れできなかったあたしは、仲間と出会ってすぐに彼を使うのを完全にやめ、最終レベルは10でした。他の人たちはみんな48。
「すんげえ敵と、ちっぽけな俺」の図式を壊したかったのかしら、とも考えたけれど、それにしては中途半端。明確な対抗策を打ち出せていない。
それから、「最初に『こいつがラスボス』って感じで出てたのが実は違って、その後ろには人智を超えた存在が待ってる」ってパターンが大好きなスクエアFFですが、今回そこも弱い。「えー、じゃああのお化けちゃんたちはどうなったのさ!?」と腑に落ちないところがヤダ。
もういっこ気になったのは、「肉親殺し」の使いかた。今回2パターン、弟がお兄ちゃんを殺す、が2回と、息子が父を殺す、が1回、ストーリーの中に組み込まれているのだけれど、これが軽い軽い。
あたしは、憎んで憎んだ肉親を殺す、その時の、それでもなお「肉親を殺す」という倫理的な業を背負う、その重さが、ストーリー上の登場人物の感情として、その人をリアルにしていくと思っているのだけれど、それがないに等しかった。誰も眉をしかめないし、誰もためらって目をそらさないし。「憎くて殺したのだ、業など背負わない」と思っているにしろ、そう決意するまでには社会的倫理観を犯す、という、闇の部分をはねのけるだけの力が必要だと思うんだけど、それもない。
特に、12歳の少年が、敬愛していた兄に刃を向ける、とかさあ、この子の将来にそれはそれは大きな影を残すと思うんだけど、そんなの微塵も見えない。お付きの護衛の方を心配してるし。なんだおまえら、デキてんのか?
そう、もっと、表面的にじゃなくて、みんな悩んでほしかった。王女様ももっと、ただ単なる力による復讐と圧政か、困難だけれど和による共生か、ってところでウンウン悩んでほしかった。苦悩の描かれかたが甘いから、ストーリーに厚みがなく見える。
この世界にモンスターが満ちてる理由もよくわかんなくなってきた。FF5は、クリスタルの力が弱まって(だったはず)、そのせいで魔物が世に……みたいな理由があったのに、そんなのもう気にしないって方向になったんでしょうか。だとすると、あたし(主人公たち)より街の人々のほうが実は強いんじゃねえの?寄ってたかったらワルモノ倒せるんじゃねえの? そんな、さっきあたしが命からがら逃げてきた方角から普通に人が来てたりする!! みたいなおののきは、現実的に見すぎてるんだろうか。昔も、宿屋の1部屋に男女入り交じって泊まってるのとかエロいなあって思ってたけど、そういうのは目をつぶるべきなのでしょうか。まあいい。
ストーリーの脆弱性はまだある。帝国のワルモノを操っている存在=元凶、に気づくきっかけがない。「もしやあいつがいちばん悪いんじゃねえの?」みたいな気づきがない。
とにかくたくさんボスが出てくるのも気になる。そいつらの登場に動機がない。あたしが勝手に想像しろってこと?みんなあたしの能力を試すための守人ってこと? とか、なんかよくわかんないまま倒させられていた。
戦闘シーンは好き。敵が見えてるゼルダ&聖剣伝説システムなのにコマンド入力、って楽しい。勝手に戦ってくれるのも悪くない。
ロードは長い。画面の切り替わりが街中でも遅い。ちょっといらつく。
ああ、それにしてもバルフレア! 女好きかあ。それは最愛の男の存在をごまかすための仮面、とか考えられなくはないけど、相手がいないからなあ。彼に空賊の技術を仕込んだおっさんもいるけど、あんなピンクの短パンはいてるハゲ親父に食わせるには惜しすぎる。断然総受けだけど相手がいない孤高の男なのよ。ハゲよりずっとバニーちゃんのほうが似合う。
エンディングのタイトルロールに、憎んだ父親に抱かれる赤ちゃんバルフレア、って絵が出た時に再び号泣。うわああああん。いつから父と息子の葛藤が始まったのか、いろんな妄想がそれはすんごい勢いでかきたてられた。プレイする人は必見。
ああ、まだ胸がドキドキしてる。
ノルウェーが強くてうれしいトリノオリンピックですが、実はクロスカントリーよりもカーリングよりも、男子フィギュアスケートが好きです。高橋大輔よりもアメリカの代表選手・Weirが好きです。
この人。
ジャンプ→着氷、の流れの美しさ。それから叙情性。自分の美しさ、ウリ、をよくわかってる。
漫画「アラベスク」の、ユーリのライバルで当て馬くん、名前なんだっけ、あの人にダンスの雰囲気が似ていると思いながら見ています。
人生で、いちばん好きだった男子フィギュアの選手は長野五輪で銅メダルだったフランス代表・フィリップキャンデロロです。彼の、技じゃない、点数にならないところでの芸の細かさと、大ジャンプとかしなくても銅メダル取っちゃうところとか、それからやっぱり叙情性、感激したのを思い出します。素敵だったなー。
人の漫画を歪曲してオハナシをつくってしまった。
10年ぶりくらい。
しかも他の方の本気作品といっしょに小冊子にしてもらってしまった。
恐縮。
しかもしかも、ここが初体験なんだけど、漫画の原作者に渡してしまった。
うわーお。
コミティアとコミックシティというイベントに行ってきたら、高校の同級生に会った。
とあるブースで100円とぺろぺろキャンディでドラクエ同人誌を売ってもらったら、それがレベル70を超える出来だった。ドラクエ好きではないあたしですら泣いた。5の主人公があんないい男だったなんて知らなかった。鳥山明の絵ではわからない秘められたパワーを持っていた。ビッグサイトまで行った甲斐があった。
今年の夏旅の旅帳を面白いと言ってくださった方がいた。「料理の考察、面白かったです」と言われ、恐れ恥じ入る。
非常にいい加減に載せたのを、あたしは自覚しております。でもあそこで述べるには、話が長すぎるのです。
もうほんの少しつけくわえるとするならば、それは「なぜ、カトリックでは美食文化が発達したのか」ということです。これは宗教的観点からけっこう簡単に講釈たれることができます。
なぜなら。カトリックとは神と人との関係がいい加減な宗教だからです。いい加減、という言葉が適切でないなら、「甘い」と言い換えてもいいでしょう。カトリックにおいて、一般庶民は無力です。何もしなくていいわけです。やるべきことは神と人との仲介者・神父が、全部やってくれます。PAPAにまかせときゃいいわけです。だから庶民は、時たま神父のところで「今日、豚のレバーより美味しいものが食べたかったという理由だけでガチョウに無理矢理ごはん詰め込んで太らせてフォアグラねらっちまいました。ごめんなさい」って言いさえすれば、あとはやりたいことができたわけです。だって人って、元来そういうダメダメなものなんだもん、そんな僕らのために神父様がいるんでしょ、ってわけです。神父様に身をまかせれば、すべてはうまくいきます。
それに対してプロテスタントとは、大変に厳しい宗教です。神父はいません。神と個人の一対一です。神に応えるために、自らを律しなければなりません。己の卑しき部分を悔い改め、己の努力で高みを目指すわけです。日々修行、な日常において、放蕩を尽くす文化は生まれません。
そういうことなんじゃないでしょうか。
昨日、お台場ZEPP TOKYOで、三上博史主演の『ヘドヴィグアンドアングリーインチ』を観てきました。
フヂマリが日本人俳優の中でかなり好きなのが三上博史で、前回の初演時から観たい観たいと思っていたのですがなかなかチケットが取れず、ようやく再演で夢が叶いました。
これは、東ドイツからアメリカに亡命するためにちんちんを切除し母親のパスポートを偽造した男の悲しい物語で、切除手術に失敗して1インチだけちんちんが残っちゃったために男にも女にもなれず、愛した男にヒかれ、その思いをロックにぶつけていくわけです。
三上博史の、ほぼ一人舞台で、ヘドヴィグのライブ、という設定で、隣のライブ会場でヘドヴィグが愛した男が皮肉にもライブをやっている、という舞台背景で、独白形式で進行します。
会場の9割が女性客。これはすべて三上博史のファン、ということなのだろうか。彼の歌唱シーンになるとオールスタンディングのマジライブ状態。
この芝居、もともとパルコ劇場でやっていて、今回初めてZEPPになったんだけど、あたしとしてはこの「ライブ会場」というものが、もんのすごく嫌いなので、公演前から心配していたのです。音楽は座ってききたいフヂマリにとって、立ち上がってきゃーっとなる、ライブ感は敵です。だからマンマミーアとかWE WILL ROCK YOUとかいうミュージカルは絶対に観に行かないだろうと思う。観客との一体感を「そういう形」で求めてくるのは嫌だし、あたしも求めていないのです。役者として魅了してくれ、って思う。客席のいじりかたのセンスがあたしと合わないんだろう。だから本当はZEPPじゃなくてパルコ劇場で観たかったんだ。あっちだったら建物自体が芝居小屋って感じだから、ZEPPみたいにライブー!ってならなかっただろう、と思って。
今回のお芝居で、しょっぱな1曲目からスタンディングだった時は、うっわあやべえ、あたし三上博史をおいて帰るかもしれない、と、ものすごく危惧しました。けれどそんなことはなかった。30歳くらいの熱狂的ファンたちがうざくはあったものの、三上博史は圧倒的に役者で、冷ややかな目で観ているフヂマリまでもちゃんと魅きつけてくれました。
彼のオネエ言葉は自然で、内股とか、ファッションとか、とてもよく馴染んでいました。出入りする客に「ちょっとぉ開演1時間よ、まだ、しょんべんなんか行かないでよっ」とかアドリブを入れまくっていたのも、三上博史ではなくヘドヴィグの言葉に、きちんとなってたし。なによりものすごい存在感。ものすごい感情の放出。それでいて観る者を悪い意味で疲れさせない、「押し」と「引き」の巧さ、この人はのりうつったように役に入ってるけど、必ず三上博史の役者視点を忘れないで持ってる、ってのを感じさせられる演技でした。ちゃんと計算してる。ラストへの絶頂させかたとか。
すげえ。
圧巻。
2時間半、おしりが痛くならなかった。
そうして観ながら、フヂマリはいろんなことを考えていました。
1.「チャンス!」とか「リップスティック」とか、いわゆる「トレンディードラマ」的なるものに出ている三上博史は、彼本来の望みで演技していたわけじゃなかったんじゃないか。寺山修司舞台で食えないから、仕方なくテレビの仕事も受けていたんじゃないか。そのくらい、舞台の彼とテレビの彼は違っていた。まあ、観た舞台がちょっと極端すぎるかもしれないけど、でも。オーラの放出度が違った。この人が本当にやりたいのは舞台だけなんじゃなかろうか。テレビでこの演技方法やるとキワモノになっちゃうからものすごく押さえてるんじゃなかろうか。
2.外専のゲイなんだそうだ、三上博史の口から「タチ」って言葉が出て爆笑。リアル感が出てます。えーっ、そ、それは専門用語では?理解しない客もいるのでは?それともファンはみんな知ってるってことなの?ちなみに三上はどっち?誘い受だといいなあ。
3.ヘドヴィグの「後ろからじゃなくて、正面から、あたしを愛して」という台詞の印象が強烈。うわあ、これ、フヂマリの萌えの1つですよ。「醜いオカマの純愛」。これ、家で映画観てるんだったら絶対一時停止して「うをー!!」って吠えたと思う。今まで1インチを見られたくなくて後背位しかしなくて、でも本気で好きになった人にはやっぱりセックスしながらキスされたい、あたしのすべてを愛してほしい、でも結局相手にドン引きされるって、すっげえ萌える。現実にちんちん取っちゃった人たちの股間って、どうなってるんだろうか。切除後は、醜い?1インチ残ってるのって、そんなに醜いのかなあ。なんかクリトリスみたいじゃないの?1インチじゃでかすぎるけど。そこさわったら気持ちいいのかなあ。性感帯はなくなってしまうのでしょうか。きれいに整形してくれるものなんじゃないんだろうか。取っちゃった人たちはそうやって悩んでいるんだろうか。見てみたい。ネットで画像探そうっと。SHE MALEと呼ばれる、ちんちんついたままでおっぱいつけた人たちの裸は見たことあるんだけどなあ。
いやあ、三上博史、すげえよ。
再演になるだけのことはあったよ。
折り込みチラシに毛皮族のが入ってたのもすげえよ。
先日の日帳を書いていて、ふと思った。こういう時に、日記って意味があるんじゃないかと。つまり「98年頃、あたしどんなアニメ観てたっけ?」というのを知るのに、日記をめくれば、ってことだ。
フヂマリはわりと小さい頃から日記習慣と仲良くしてきた。夏休みの自由研究は毎年日記だった。植物の観察日記だったり、夏休み中のポラロイド写真付き食事日記だったり、読書日記だったり。
それがめんどくさくなってフヂマリ帳オフラインにつながる。
残念ながら、98年に読んだ本ならフヂマリ帳に書き留めてあるけれど、アニメはわからなかった。
日記は、毎日続ける文章修行のために書くのではない。将来読むために書くの。誰が読むって、あたしが。自分で。
文字にすることは残酷である。それは火事にでもならないかぎり自然消滅してくれないから。言葉や思念と全然違う。そこに綴られているのは、自分で思っている以上にイタい自分である。今、内省する以上にイタいのが事実なのだ。まざまざと見せつけられる。恋愛ネタとか、もう、そんじょそこらのオタンビ本なんかの比じゃない。発狂しない自分を呪いたいくらいだ。ああ、フヂマリの恋バナは10代で幕を閉じたよ、って感じる(おっかしいなあ、あの頃はケツの穴とかちんこちんことか叫ばなかったのになあ)。
そのイタさを他人事のように楽しむ、いや嘲笑するのがいいのよ。
日記をつけるなら、今からでも楽しいかもしれないけど、いや、やっぱり怖いものがない10代だな。厚顔無恥唯我独尊傍若無人。あたしだけ?それでもいいけど。この世はあたしのためにまわっている、と、無意識に、思っているところが最強だね。
あたしはまだ、10代の日記を直視できない。斜め読みしかできない。今の自分が「サムいなあこいつ」「イタいなあこいつ」と嫌う人間像が、そこにはある。
30歳になったら笑い飛ばせるんだろうか。
その日が楽しみ。
あたしにもし、子どもが生まれたら、「日記をつけなさい、今の自分の感情を正直に文字として綴るのよ」と耳元でささやいちゃる。
ひっひっひ。
日記は感情的に書けば書くほど、後で熟成されて面白くなる。
わたしの仕事はある意味ガテン系なので、怪我はわりとしょっちゅうします。指切ったり、ぶつけたり。でも今日は今まででいちばんでかい怪我をしました。
一斗缶を開けようと、細いペンチのようなものでグッとやったら手がすべってペンチが目に!動物の反射神経というのはよくできたもので、身体を反らし目をつぶったおかげでまぶたを2センチくらい切っただけですみました。でもこの顔・・・。怖いよー。自分でも怖いよー。縫わないですんでよかった。
ああ、また違う話題から入ってしまった。
Snakk om norsk godteriなのだった。
「ノルウェーのお菓子について話そう」です。
もしノルウェーに行ったらぜひ食べてもらいたいものです。
まずはこのFUN。ジュースです。9倍に薄めて飲みます。ノルウェーには、このての、濃縮ジュースが広く出まわっています。FUNはカロリーがほぼゼロです。味は5種類くらいあります。無難なのはピーチ、ブルーベリーなど。安くてたくさん飲めるので、日本でも売ってほしいものの1つです。
LABAN「ラーバン」はグミです。「男」と「女」があります。これは女。女の形をしています。
ほらね。おっぱいが出てるでしょ。わかりますか?でも男バージョンは別にちんちんが生えてるわけでもなく。平らな胸の、ただの人です。なんでー。男女差別だ!つまんないの。
ヨーロッパのお菓子を食べていて思うのですが、
これが食べられる人は、ヨーロッパ人なんじゃないでしょうか。その身体に流れる血のどこかに、大和ではないものが混じっているはずです。以前、半分スイス人の男の子にきいてみたら「俺、好きだよ」と言ってました。
ラクリス(リコリス)あるいはアニス、というハーブの味です。わたしは何回食べても好きになれません。食べられなくはないけれど。パクチーの比ではありません。パクチーは3回食べたら平気になったもん。
しかもこいつが塩味だったりします。飴とかグミのくせに。パッケージは黒です。ヨーロッパで黒いお菓子を見かけたら、それは80%の確率でラクリスです。ぜひ食べてみてください。そして自分の血のルーツを確認してみてください。
テレビや新聞が情報流通の主軸である以上、視覚で捕らえられる文化差はどんどん開けていくでしょうが、食に関する文化差は縮まりません。だからこそ面白い。だからこそフヂマリは外国行って日本食なんか食べている暇がない、と思うのです。同じヒトが食べているのに、こんなに違うなんて、これほど感動的に面白いことはありません。セックスだったらさあ、まあどの国の人も正常位、後背位でやるし、アナルセックスだってするじゃない。でも日本人はラクリス食べなかったりするじゃない。
三欲の中でいちばん文化を感じるのは食だ。
今日から日帳が変わります。
使いやすいかどうか試してみたいので、ブログ?っていうの?にしてみます。今イチだったら元に戻します。
過去の日帳はトップページからリンクを貼る予定です。
尼崎での列車事故は、各国でもかなり大きく取り上げられているみたいです。
フヂマリが読める範囲内で、ノルウェーのアフテンポステンでは速報扱いだったし、ニューヨークタイムズでは連日、事故の検証記事がかなり詳しく掲載されています。
「欧米では6分以内の遅れを『遅延』とは言わないが、日本では90秒の遅れすら『遅延』扱いである」というような記事がメインみたいです。日本社会の慣習とか文化とかから考えないと、理解しがたい事故なのでしょう。
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