2005-2006

13. desember 2006

映画帳「王の男」

「いまを生きる」  さいころ4つ
全寮制の有名ガリ勉進学校に赴任してきたロビンウィリアムス演じる国語の先生が、柔軟な授業を繰り広げ、生徒達に影響を与えていく青春話。
ロビンウィリアムスって、本当に、こういう「少し世間一般の人とは違う感性を持ってハズれている人」やらせたら映える。好きな役者のひとり。
出てくる生徒役の子たちが、みんなそれっぽくて、ガチガチだった授業とうってかわっていくのに刺激されて目がキラキラしていく演技とか、受験勉強だけではないのだ、ということに気づかされていく展開方法が自然で、最終的にオトナと世の不条理には勝てなかった時の、落胆と、そして対抗心の出しかたまで、感情の流しかた、キャラクターのつくりかた、すべて素晴らしかった。
全寮制プライベートスクールって、やっぱエロい! 日本人だけでなく世界中が大好きな設定だ。飛ぶ教室とか、ハリーポッターとか。特にあたしが好きなのは、私立のお金持ち校にいる、あんまりお金持ちじゃない子と、そんな彼と、偏見や同情なんてものナシに、ごくごく普通に友だちづきあいしていく、育ちの良い子の関係。
じゃあ、ここまでお気に召したのに、なんでさいころ4つかというと、自殺という素材の使いかたがあんまり巧くなかったから。青春&自殺、なんてありがちなものを最高に生かした「17歳のカルテ」から比べると、格段に劣っていたのが残念。
オチのつけかたは悪くなかったけど。
評価とは別に、もう1つ感じたのは、欧米文化における「詩」というものの位置づけ。日本の「国語」の授業で、あるいは表現文化の中で、詩ってあんまり深く根付いていない。あたしに詩を楽しむ習慣がないからかもしれないけど、でも、中学高校の現代国語の教科書にだって、大して出てこない。自分の好きな詩をいくつか暗誦できる日本人なんて、ほんの少ししかいないんじゃないかしら。それに比べて、アメリカ・ヨーロッパ文学には、1000年以上前から、詩というものが明確に存在している。自国の詩人だけでなく、言語すら超えて、ある。ロビンウィリアムス演じる国語の先生も、詩に重きをおいていた。人との会話の中で、短く引用するようなシーンが、欧米映画にはよく出てくる。ノルウェーで、ノルウェーの文学研究の授業を受けていた時も、この壁に、戸惑ったのを覚えている。それは、フヂマリが、まどみちおと谷川俊太郎を愛する、なんてレベルの「詩」ではなくて、もっと「文学」に近くて、一行が長かったりして、時代によって音読の方法が違うとか、韻の強弱が違うとか、今までに経験したことのないジャンルで、どこを楽しめばいいのかも今いちよくわからず、同じクラスのヨーロッパ人たちが特に苦しむことなく理解しているのをうらやましく思った。詩を楽しむ、好きな詩がある、暗誦できる、って、美しい文化で、憧れる。

「グロリア」  さいころ3つ
ヒスパニック系マフィアの会計係の妻の女友達が、その妻から子どもを預けられて、妻と夫とその子のお姉ちゃんは裏切り者として惨殺されて、男の子だけ、その女友達と逃げる話。逆レオン、みたいな、なんかそういう話。
あたしの愛するニューヨークは、浄化される前の、1990年くらいまでの、初期山田詠美とBANANA FISHの世界で、今、タイムスリップできるなら行ってみたい場所のベスト5にはランクインする。ちなみに第一位は安土桃山時代くらいの堺。二位は唐代の長安。
きったねえ地下鉄、ボロいタクシー、銃とかヒスパニックとかブロンクスとか、そういう、いわゆる「ニューヨーク的なるもの」たちがたくさん出てくる映画で、もうそれだけでさいころ3つ分だ。
女も、美人じゃなくて、でも寝たいって思わせる年増で、脚のラインが美しくて、プラダでもグッチでもないアバズレなファッションもかっちょよい。美人じゃなくてもエロくて強い女、大好き!! ブバババババって何のためらいもなく発砲して、「こっちにおいで、来れるもんなら来てみな」って捨て台詞吐くのなんか、超かっこいい。
すべてのシーンが断片的で、細切れで、ひとつの作品として成立してないので、途中で飽きる。ストーリーが、まったくもって流れない映画なのは、80年代っぽい。面白くないけど、嫌いじゃない。

「プラダを着た悪魔」  さいころ4つ
田舎から出てきたジャーナリスト希望のダサい女の子が、何の間違いか、世界でいちばんファッショナブルな一流ファッション雑誌のデスクに配属されちゃって、周りの人たちからバカにされながらもどんどん洗練されてって、頭はもともと悪くないからどんどんのし上がっていくけど、やっぱり自分を偽っていることに気づく話。
「やっぱり自分を偽っていることに気づく」ってオチがつかなかったら、さいころは5つになっていたかもしれない。強くて冷たい女、大好きだから。
出てくるファッションはまったくもって完璧で、美しくて、「その服買う金、どっから出るんだよ、もらえるのか、そうか、いいなあ」みたいな疑問はちっぽけすぎて忘れるくらいなのだが、フヂマリの趣味からは完全に逸脱しているので、あたしの場合は、欲しくなるアイテムは1つとして出てこない。よって、安心して「キレー」「かわいー」と見ていられる。
プラダも、エルメスも、D&Gも、あたしは全っ然欲しくならないブランドである。これが、イッセイミヤケ、ヨージヤマモト、コムデギャルソン、ケイタマルヤマ、ベルンハルト、ホコモモラなんかだったら、んもう大変なことだったろう。チュウの靴じゃなくてカンペールだったら、出てくるもん全部欲しくなっちゃって、金銭感覚狂ったまま、帰りにビームスで何か買ってたかもしれない。危なかった。よかったよかった。目の周りが黒いメークも、美しいとは思うけど趣味かっつうとそうではないので、「あたしもああいう格好したいの!!」という欲求に襲われることもなかった。
ストーリーも、絶対悪い人出てこないし、誰も惨殺されないし、自殺しないし、安全安全。予想通りで嬉しい。
主人公に絡んでくる男2人が両方とも気持ち悪いのがちょっと気になる。コック志望の彼も、ジャーナリストの当て馬くんも、瞳はとってもきれいで良いのだが、それ以外が……。劇場を出て、いっしょに観に行った3人と最初に声を合わせて言ったのは、「自分の誕生日に彼女が仕事で遅く帰ってきたからってスネてる男なんて、絶対にイヤ!!」ということだった。それにすべてが象徴されるであろう。
当て馬くんもなあ、もう少し裸がシェイプアップされていたら惚れたのに、あのブヨブヨおなかはいただけない。
さいころの内訳は、ファッションアイテムに2、メリルストリープに1、主人公の得意先からの電話対応「ガッバーナ(ドルチェアンドガッバーナ)って、どのようにスペルを綴るんですか?」という台詞に1。あたしがいちばん笑ったシーンは、ここだ。名台詞だ。
登場人物の中でいちばん輝いていたのは当然のことながらメリルストリープだった。完璧な着こなし、細いわけではないけど美しい身体のライン、強くて賢くて冷たい女。と、オフの時の、ノーメイクの表情とのギャップの出しかたが完璧。この人、こういう仕事受けるから、すごいと思う。くたびれた中年女の表情出しちゃうのとか、大好き。
アンハサウェイは共演女優に恵まれているなあ。ジュリーアンドリュースとメリルストリープに育ててもらってると思う。でも目がでかすぎて、ちょっと気持ち悪い。取れちゃいそう。

「王の男」  さいころ4つ
大本命はありえねえことに、初日に観に行くこととなったのである。
ありえねえ!!
初日に韓国映画観に行くなんて!
劇場で先着何名様のプロマイドまでいただいちゃったよ。韓国映画は、今まで大した本数観てないけど、でも、1本として面白かったことがないジャンルなのである。そんなあたしの脚を動かした、財布の紐を緩ませた、オタンビパワーというものは、これほどまでに強いのか。
そう。それほどまでに強いのである。だから感想もグチャグチャある。
まず、観る前の感想。
1.王様・身体を売る芸人・その芸人の幼馴染み、というホモ三角関係をひたすらに熱望していた。できることなら「LOVERS」の金城武VSアンディラウみたいに、恋敵同士が決闘して、両方死んで、両方から愛されていた子だけが生き残って、胸に残る愛情とか後悔とか自己の生への恨みとかでグッチャグチャに苦しむ、みたいなくらーい話がよかった。イタい設定にまみれる美人受バンザイ!
2.「身体売る芸人」の男の子演じる役者の顔も、映画観る前から好みだった。こういう、中村七之助とかミッチーとか女なら山本未来とか外人ならジョシュハートネットみたいな、切れ長の涼しい目元があたしは好き。この映画の彼の場合は、あの目の下の、ぷっくりした部分がなければ、あたし好みの「受っ子」として完璧だった。この目で流し目するとセクシーさ100倍。
で、観た感想。
幼馴染みの芸人2人が王様のことバカにする大道芸やって、官吏に捕まって、王様を笑わせられれば死罪じゃないってことになって、王様笑って、気に入られて、お抱えの芸人になって、王様は女形だった男の子のほうに惚れて、男の子も王様の寂しさに同情して、王様の妾はそれに嫉妬して、幼馴染みの芸人もそれに嫉妬して、幼馴染みが王様の怒りを買って、目つぶしされて、平民たちは芸人なんかと遊んでる暴君への怒りをつのらせる話。ハッピーエンドとは言い難いが、ラストシーンはみんな笑顔。そして死の予感。
1.開始5分で、地方貴族にヤられそうになる受っ子(コンギルって名前)の腹の肉が脱がされそうになってる下帯の上にちょこんと乗っかっている画面に吠えかかるフヂマリ。これは許されないことである。コンギルの体重はあと10kg、少なくとも5kgは少なくなければならなかった。コンギルの細さは絶対必要条件である。中世アジアの、何枚も重ねて着る衣の、その厚い上衣の上からでも腰の細さが想像されるくらいでないと、エロくないじゃん!耽美じゃないじゃん!! そう、あたしがこの映画に求めることはただ2つ、エロ&耽美、であった。あばらが浮いてるけど、でも不健康ではなく、肌は張ってる、腰はあくまでも細く、おしりはプリっと、が理想だったのになー。残念。
2.幼馴染みの男が、もう少し筋骨隆々だとよかったのに。韓国人男の何が嫌いって、この、ぶにゅんってした身体つき。なんでだろう。同じ北アジア人なのに、面白い。日本の男は細く、中国はわりとがっしりしてて、韓国はブヨブヨしてる。スポーツでいったら野球選手の、確かに筋肉なのかもしれないけど、サッカー選手みたいに引き締まってない感じ。水っぽいの。これがイヤ。硬く引き締まった身体が観たかったなあ。
3.エロくない!!! 中国映画なみにはエロくしてほしかった。韓国映画って、やっぱりまだまだ性描写に拙いので、社会的に許されてないからかもしれないけど、おしりの触りかたも、キスの仕方も、中学生の恋みたいで気持ち悪い。こっちが恥ずかしくなる。どうせホモやるなら、とことんこだわってくれ。とりあえず、少なくとも、王様とのキスシーンは、舌を入れろ!顎をひっつかまえてでも口を開けさせろ!! 日本のテレビドラマもそうだけど、もう、その、唇完全に閉じた状態でのキス、やめようよ。だったらすんなよ。キスは唇をくっつけるんじゃなくて、食べるんだよ!
全部脱げとかちんちん出せとか実際にベッドシーン見せろ、とかそういうことではない。ポルノは見せてなんぼ、オタンビは見せないでなんぼである。その、見せないエロさを追究してほしかった。王様の肩の衣つかむ指先の皺で快楽を表わすとか、王様の居室からコンギルが戻ってくる場面で着衣の乱れがあるとか、そういうオタンビが観たいの。腐女子にオタンビ映画撮らせる金をくれ!
男同士のエロシーン撮らせるなら、男の監督より女かもなあ、と思う。ストーリーはわかんないけど、その瞬間の映像美のみを探求できるのは女なんじゃないかしら。
出てくる役者は、全員巧かった。良い役者ばっか。特に北村一輝みたいな王様・仲間由紀恵みたいな妾・芸人の子分の鶏役。レベル高い。衣装も装飾もセットもちゃんとお金がかかっていて安っぽくない。
さいころ評価は4ですが、フヂマリ脳内で勝手に繰り広げられた妄想も含めてなら、文句なしの6だ! 映画を追いながら、あたしは頭の中でまったく違うストーリーを、同じ登場人物つかって繰り広げていた。まあとにかく、すんげえ楽しんだことは確かだ。
これ、エロをにおわせるシーンだけでも、あたしか、ウォンカーウェイに撮らせて!! 俳優が逃げるかもしれないが。

今後観たい映画……墨攻!!!
さ、酒見賢一が実写になるとは。落涙。垂涎。
ついでに流行の三部作化して、第二弾「後宮小説」、第三弾は真打ち登場の「陋巷に在り」で決まりだ!ってのはどうでしょうか。少なくとも「エラゴン」よりはマシだと思う。

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4. desember 2006

映画帳「ALWAYS 三丁目の夕日」

三丁目の夕日  さいころ5つ
昭和30年代初頭の東京の町角を描いた人情劇。
小さな自動車工場・鈴木オートを中心に、集団就職で田舎から出てきた六ちゃん、文学崩れの駄菓子屋、親に捨てられた少年、ストリップあがりの女が家族愛に気づいていく話。
小3の頃から好きだったマンガ、父が愛したマンガの映画化。
原作を読んだ頃から、「鈴木オートのお母さんは薬師丸ひろ子だな」と思っていたので、実際にそうなって大変ビビった。堤真一も見た目がとっても似ていた。
茶川先生役の吉岡秀隆と、小雪があたし、あまり得意でないけれど、演技力でカバー。
欠点は、薬師丸ひろ子以外のキャラクターが、原作とまったく違うところ。変えなきゃならなかった理由が見あたらない。
けれど、原作と別物で、昭和30年代を味わうのだ、と考えれば、さいころ5つは妥当。
もともとあたしは、「今まで何も持たなかった不幸な人が、何かを手に入れ、そしてそれをなくしそうになり、恐れる」という王道の筋道が、大大大好物シチュエーションである。オタンビだけにとどまらず、とにかく好物。愛に初めて気づき、そしてそれを失うかもしれないという時になって、「ああ、どうせなくしてしまうのなら、こんな感情、知らなければよかった!」と悔やむのとか、んもう、たまらなく好き。
親を持たず親戚中からたらい回しにされて、ようやく茶川先生と信頼関係を築いた淳之介も、親に勘当され町の人からもバカにされ何年も孤独に生きてきた後に淳之介と家族愛を感じる茶川先生も、ミソっ子として田舎から出てきた六ちゃんも、とにかくこの映画にはそういう人ばかり出てくるもんで、あたしのツボは刺激されっぱなしで、鼻水と涙がぐじゅぐじゅになりっぱなしで、この状態で「うーん、今イチだからさいころ4つ」とは言えないまでに追いつめられた感じ。
昭和後期生まれのあたしが見ても、「そうそう、あたしのちっちゃい頃は大宮駅って、電光掲示板じゃなくて、行き先書かれたプレートが駅の改札のところにひっかけてあったなあ」とか、「改札には人が立っていて、キップの裏が白かったなあ」とか、昭和のハシッコの部分で「郷愁」みたいなものを感じてはしみじみするのだから、鈴木一平くんと同い年くらいの、今のまさしく団塊の世代くらいの人たちが見たら、そりゃあ大泣きなんだろう。

デスノート  さいころ3つ
死神が落とした「人を殺せるノート」デスノートを拾ったねじ曲がった正義感のかたまりみたいな青年VS天才事件解決青年の死闘のお話。
この映画に関して言うべきことはただ2つ。
1.ライトくんが好物のリンゴくれなくて、無視されて、天井で「りんごくれー!!」っておねだりする死神にさいころ1つ。超かわいい。総受決定。
2.天才青年Lの演技にさいころ2つ。こいつはすげえ。あたしは原作1巻で挫折したけど、それでも、原作を超えたと思う。視線の使いかた、ものの食べかた、紅茶のカップ持つ小指の先まで完璧に計算された演技をしている。テレビの前で思わず叫んだよ。舞台荒らしって感じ!どういう方向性で役をつくっていきたいのかが、伝わってきて、しかもそれが成功している。こいつぁすげえ。Lが出てきた瞬間から、もう、藤原竜也なんか目に入らなくなっちゃった。
制作者の、原作に対する愛っていうか執着心っていうかオタク心っていうか、そういうものが圧倒的に欠けているから、いろんなことが雑に見える。って、原作たいして読んでないあたしに言われるって、どうなの? 原作が好きで好きでつくっちゃった、っていうよりは、この原作がカネになりそうだから、ってにおいがほんのりしているのが気になる。
原作に漂う思春期臭が完全になくなって、設定が大学生になってるあたりは、あたしは好きだったけど。
いやあ、それにしてもLはすげかった。

シュレック2  さいころ3つ
バケモノになったカップルに、遠い国に住んでるお父さんとお母さんから結婚パーティのお誘いがきて、行ってみたらやっぱりバケモノ扱いされて、シュンとするけど当て馬も出てきて、陰謀も解決して、結局みんなに認めてもらう話。
シュレックについていく「長靴を履いた猫」は怪傑ゾロのパクりなんだけど、その声がちゃんとアントニオバンデーラスだったところにさいころ3つ。この人の顔が、あたしは濃すぎてオエーって思ってたけど、こういう仕事選ぶってところから、株が上がった。好きになった。やっぱり役者には、「茶の味」の草薙剛とか、ドラマ「孫悟空」の1回目の木村拓哉とか、あれおかしいなSMAPばっかだ、けど、そういう、仕事の選びかたってもんがある。出ると好感度アップになる。そういうのにいちいちツンケンして拒否する役者って、つまんない。笑って出演しなきゃ。バンデーラスはそれができる子でうれしい。
いろんな映画のパクりかた、テンポの良さ、は、やっぱりハリウッドで、でもあっさりしていて媚びなくて、一流だった。
でもやっぱり二作目のサガで、ストーリーはダレるんだよなあ。もったいない。

おまけ:今後見たい映画
1.韓国映画「王の男」
わかりやすくて恥ずかしい。
女装の男と、その相方のワイルドガイ、両方とも、韓国男苦手なフヂマリにしてはめずらしく、好みだったからです。
女装の男と旅芸人でカップリング成立決定!
切れ長の目元も、ミッチーみたいで美しい。
それが見たいだけ。
旅芸人の相方の男と、それから王様と、両方と寝たらいいのになー。そういう話だったら、もう他のことどうでもいい、さいころ6なのになー。

2.「プラダを着た悪魔」
雑誌の編集長やってるおばさんが好きだからです。
こういう、絶対ハッピーエンドは、生活がすさんでいる時に無性に見たくなる。
安心したいのかもしれない。

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18. juli 2006

☆矢よりオンソワカ

Tenku
えー、麗しのH姫が聖闘士星矢にハマられていらっしゃるのを見ていて、フヂマリが思い出したのは「天空戦記シュラト」でした。
星矢はあたしが幼稚園くらいだったのであんまりよく覚えておらず、その後釜的アニメだったシュラトのほうがインパクトがありました。
この頃から、んもう、オカマキャラが好きで、声優・井上和彦のイメージはイマでも迦楼羅王レイガのオネエ口調です。
このあたりの記憶から曖昧になり、yahooで「天空戦記シュラト」って調べたらWikipediaが出てきて、それはそれは詳しく説明してくれて、あかほりさとるが脚本やってたとか主役の声が関俊彦だったとか、鎧の名前がシャクティだったのとか、いろいろわかってきて、そっか、これ1989年か、うっわー、声優オタクだった頃のあたしの昔取った杵柄みたいな部分とかがガシガシ刺激され、そのままWikipediaリンクを飛びまくること2時間……。

Wikipedia面白い! はてなダイアリーより文体が辞典っぽいのに主観的だったりして面白い!
まずオカマキャラといえば「シュラト」のレイガからきて「サイバーフォーミュラー」の加賀とか、顕著なとこだと「ふしぎ遊戯」のヌリコなんかで、ってリンク見始めたら、ふしぎ遊戯の音楽が本間勇輔だったりして、ふしぎ遊戯の名言といえば「たまほめ、あたし、汚されてなかったよ!」で、うわー18時のおこさまアニメで敵の男に汚されるとかやるんだー、と思った記憶があって、そういやテレビ朝日土曜日19~20時枠のアニメって、もうなくなっちゃってさみしいな、おぼっちゃまくん→パプワくん→スラムダンクと続く流れとか、オカマ3人出てくるセーラームーンとか、そういえばあかほりさとるって今なにしてるんだろうとか、井上和彦と漫画家・いがらしゆみこって結婚してて、その間に生まれた男の子がジャニーズJr.入ってたりして……声優のリンクかたっぱしから見てみたり、テレビ東京の平日18~20時くらいまでの一連のアニメ作品全部調べたりしてたら懐かしさからウヲー!と叫び、涙まで出てきました。あたし、高校2年生まで、ほとんど見てたわ、テレ東アニメ。「キャッ党忍伝てやんでえ」とかの時代から始まって、「エヴァンゲリオン」「リューナイト」「エスカフローネ」くらいまで。

なーつかしーなー。あんなに好きだったのに、どうして今「ブリーチ」とか見ても、心が反応しなくなっちゃったんだろう。

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20. mai 2006

ここまでくりゃ

Albino観たくなっちゃうじゃないですか。ダヴィンチコード。
カンヌの記者上映では失笑すら漏れるほどだったそうじゃないですか。その後の一般上映では大好評だったそうですけど。
ニューヨークタイムズの映画評は、失笑どころか大こきおろし大会だったのも気になります。
What's up with Tom Hanks's hair?
「トムハンクスの髪型はどうしちゃったの?」
から始まり、シラスの説明なんか、
The albino monk, whose name is Silas and who may be the first character in the history of motion pictures to speak Latin into a cellphone
「シラスという、おそらく映画史において初めて携帯電話でラテン語をしゃべった登場人物であろう、アルビノ坊さん」
だし、
I certainly can't support any calls for boycotting or protesting this busy, trivial, inoffensive film.
「この騒がしくて、くだらない、害にもならない映画に抗議したりボイコットしたりする人々を支持する気になどなれない」
とまできた。
そこまで言われたら、ねえ。観たーい。
ワウワウワー!

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7. april 2006

しゃべらずにはいられない!

ネタばれというほどではありませんが、匂わせストーリーバレがあるので、今からプレイする上で、まっさらな状態を望む方はご注意ください。
こういうののネット感想って、どう書いてもバカっぽいですが、書く側にしてみれば書かないではいられないのです。映画を観た後とか舞台を観た後とか本読んだ後とか、あたしは部屋をまったくの無音にして感想独り言を声に出さないではいられないのですが、ゲームだとなおさら。だからあたしもやる。興奮に身をまかせ、長文を書いちゃう。

ファイナルファンタジーXII  さいころ5つ
「ブランド」でものを売ることの凄まじさを見た気がします。やっぱすげえわ。スクエアってすげえわ。FFってすげえわ。
ネット上でもすんごい数の人たちがあーだこーだ言っていますが、「確かにキャラはいいけど」とか「確かに○○だけど(+否定形)」ってフレーズを使ってる段階で、その人はこの作品を嫌いではない。
予約開始の段階でamazon1位で、発売1週間で160万本、でしたっけ、売ってるゲームがつまんないわけがない。
ゲームで号泣、初体験の一作。
FF12の良さはすべて、パーティメンバーの1人、バルフレアに集約されているということにしたいと思います。
声良し、顔良し、台詞良し。服装は鼻血モノ。その膨らんだ白い袖と、絞られた腰は乙女の煩悩のかたまりみたいだ。移動する時はいつもバルフレアを操り、カメラアングルを後ろ斜め下にし、ケツばっか見てた。これをハァハァと言わずして、何がハァハァだ! あたしの嫌いなもみあげは帳消しだ。安っぽい片耳ピアスじゃなくてきっちり両耳ピアスなのも好き。父との葛藤ありーの、「俺がこの物語の主人公」と豪語する度胸ありーの、女の子にもてもてーの。しかも連れてる女の趣味が良い。年下なのが嘆かわしいけど連れてる女は確実に年上だから、わりとそっちもイケるらしいってことで納得することにする。低い声のクールセクシー連れてるなんて、できすぎ。機械もいじれる「相棒」な女って素敵。王女様も彼のことがお好きみたいだけど、悪いけどフヂマリとしてはバルフレア×フランだから。二人の信頼関係は絶対だから。
めずらしく仲間の女の子全員わりと好みで、最後の敵を倒したのも女の子3人パーティだった。
エンディングを見ながら「最後の敵でバルフレア使わなくてごめんなさい!!」と思いながら号泣。バルフレア、あんたが確かに主人公だった。だって姫様が叫ぶ最後の一声までもが「バルフレアーっ!!」だったんだから。ボス戦で緊張しててメンバー入れ替える余裕なくてごめんなさい。あなたでクリアしたかった。

ただただ気になるのはストーリーの脆弱性と主人公の存在意義。
FF5やFF6があれだけ面白かったのはやはり、正統派RPGの、最初にガツンと圧倒的な悪意を知り、戦慄し、共通意識のもとに今まで他人だった人々が出会い、勝ち目がなさそうだった「悪意」を、打ち砕けるだけの力を持っていく、という一貫性だったのだと思うのだが、それがない。
主人公さえいなければ、その一貫性は「汚いやりかたで帝国に滅ぼされた亡国の王女が、その気貴き意思のもと集った仲間たちと国の再建を目指す話」ってところでまあ納得がいくかもしれない。
しかし、主人公。先の大戦で家族を亡くし、戦災孤児として日々のらりくらりと生きて、田舎町の地下道でどぶねずみを倒してはその遙か先に漠然と帝国への怒りを見出してる程度の君が、なぜ彼らについていこうと思ったのか。「兄ちゃんを殺したやつを殺す」とか「帝国に俺も復讐したい」とか「お姫様がキレイだったから」とか、あるいは「面白そうだなって思ってついていったらすんごいことになっちゃった」でもいい、そういう目的がまったく見えない。ただただ流されていく。あたしが他のメンバーだったら「なんでこの子ついてきちゃったの」って思うだろう。その、「壮大な旅への共通認識が弱すぎる」ってのはあたしの好きなバルフレアにしても言える。
姉が気ちがいのようにプレイするのをたまに見ていた弟ですら「こいつ、FF6のロックより存在感ないね」とつぶやいていた。そうなのよ。ロックの場合はね、彼の存在感がないというよりは周囲が、敵も含めて、濃いキャラばっかりだったからだけど、12のこいつは、こいつ自体が薄い。
というわけで、主人公にまったくもって肩入れできなかったあたしは、仲間と出会ってすぐに彼を使うのを完全にやめ、最終レベルは10でした。他の人たちはみんな48。
「すんげえ敵と、ちっぽけな俺」の図式を壊したかったのかしら、とも考えたけれど、それにしては中途半端。明確な対抗策を打ち出せていない。
それから、「最初に『こいつがラスボス』って感じで出てたのが実は違って、その後ろには人智を超えた存在が待ってる」ってパターンが大好きなスクエアFFですが、今回そこも弱い。「えー、じゃああのお化けちゃんたちはどうなったのさ!?」と腑に落ちないところがヤダ。
もういっこ気になったのは、「肉親殺し」の使いかた。今回2パターン、弟がお兄ちゃんを殺す、が2回と、息子が父を殺す、が1回、ストーリーの中に組み込まれているのだけれど、これが軽い軽い。
あたしは、憎んで憎んだ肉親を殺す、その時の、それでもなお「肉親を殺す」という倫理的な業を背負う、その重さが、ストーリー上の登場人物の感情として、その人をリアルにしていくと思っているのだけれど、それがないに等しかった。誰も眉をしかめないし、誰もためらって目をそらさないし。「憎くて殺したのだ、業など背負わない」と思っているにしろ、そう決意するまでには社会的倫理観を犯す、という、闇の部分をはねのけるだけの力が必要だと思うんだけど、それもない。
特に、12歳の少年が、敬愛していた兄に刃を向ける、とかさあ、この子の将来にそれはそれは大きな影を残すと思うんだけど、そんなの微塵も見えない。お付きの護衛の方を心配してるし。なんだおまえら、デキてんのか?
そう、もっと、表面的にじゃなくて、みんな悩んでほしかった。王女様ももっと、ただ単なる力による復讐と圧政か、困難だけれど和による共生か、ってところでウンウン悩んでほしかった。苦悩の描かれかたが甘いから、ストーリーに厚みがなく見える。
この世界にモンスターが満ちてる理由もよくわかんなくなってきた。FF5は、クリスタルの力が弱まって(だったはず)、そのせいで魔物が世に……みたいな理由があったのに、そんなのもう気にしないって方向になったんでしょうか。だとすると、あたし(主人公たち)より街の人々のほうが実は強いんじゃねえの?寄ってたかったらワルモノ倒せるんじゃねえの? そんな、さっきあたしが命からがら逃げてきた方角から普通に人が来てたりする!! みたいなおののきは、現実的に見すぎてるんだろうか。昔も、宿屋の1部屋に男女入り交じって泊まってるのとかエロいなあって思ってたけど、そういうのは目をつぶるべきなのでしょうか。まあいい。
ストーリーの脆弱性はまだある。帝国のワルモノを操っている存在=元凶、に気づくきっかけがない。「もしやあいつがいちばん悪いんじゃねえの?」みたいな気づきがない。
とにかくたくさんボスが出てくるのも気になる。そいつらの登場に動機がない。あたしが勝手に想像しろってこと?みんなあたしの能力を試すための守人ってこと? とか、なんかよくわかんないまま倒させられていた。
戦闘シーンは好き。敵が見えてるゼルダ&聖剣伝説システムなのにコマンド入力、って楽しい。勝手に戦ってくれるのも悪くない。
ロードは長い。画面の切り替わりが街中でも遅い。ちょっといらつく。
ああ、それにしてもバルフレア! 女好きかあ。それは最愛の男の存在をごまかすための仮面、とか考えられなくはないけど、相手がいないからなあ。彼に空賊の技術を仕込んだおっさんもいるけど、あんなピンクの短パンはいてるハゲ親父に食わせるには惜しすぎる。断然総受けだけど相手がいない孤高の男なのよ。ハゲよりずっとバニーちゃんのほうが似合う。
エンディングのタイトルロールに、憎んだ父親に抱かれる赤ちゃんバルフレア、って絵が出た時に再び号泣。うわああああん。いつから父と息子の葛藤が始まったのか、いろんな妄想がそれはすんごい勢いでかきたてられた。プレイする人は必見。

ああ、まだ胸がドキドキしてる。

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16. februar 2006

男子フィギュア

ノルウェーが強くてうれしいトリノオリンピックですが、実はクロスカントリーよりもカーリングよりも、男子フィギュアスケートが好きです。高橋大輔よりもアメリカの代表選手・Weirが好きです。
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この人。
ジャンプ→着氷、の流れの美しさ。それから叙情性。自分の美しさ、ウリ、をよくわかってる。
漫画「アラベスク」の、ユーリのライバルで当て馬くん、名前なんだっけ、あの人にダンスの雰囲気が似ていると思いながら見ています。

人生で、いちばん好きだった男子フィギュアの選手は長野五輪で銅メダルだったフランス代表・フィリップキャンデロロです。彼の、技じゃない、点数にならないところでの芸の細かさと、大ジャンプとかしなくても銅メダル取っちゃうところとか、それからやっぱり叙情性、感激したのを思い出します。素敵だったなー。

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29. august 2005

久々に

人の漫画を歪曲してオハナシをつくってしまった。
10年ぶりくらい。
しかも他の方の本気作品といっしょに小冊子にしてもらってしまった。
恐縮。
しかもしかも、ここが初体験なんだけど、漫画の原作者に渡してしまった。
うわーお。

コミティアとコミックシティというイベントに行ってきたら、高校の同級生に会った。
とあるブースで100円とぺろぺろキャンディでドラクエ同人誌を売ってもらったら、それがレベル70を超える出来だった。ドラクエ好きではないあたしですら泣いた。5の主人公があんないい男だったなんて知らなかった。鳥山明の絵ではわからない秘められたパワーを持っていた。ビッグサイトまで行った甲斐があった。

今年の夏旅の旅帳を面白いと言ってくださった方がいた。「料理の考察、面白かったです」と言われ、恐れ恥じ入る。
非常にいい加減に載せたのを、あたしは自覚しております。でもあそこで述べるには、話が長すぎるのです。
もうほんの少しつけくわえるとするならば、それは「なぜ、カトリックでは美食文化が発達したのか」ということです。これは宗教的観点からけっこう簡単に講釈たれることができます。
なぜなら。カトリックとは神と人との関係がいい加減な宗教だからです。いい加減、という言葉が適切でないなら、「甘い」と言い換えてもいいでしょう。カトリックにおいて、一般庶民は無力です。何もしなくていいわけです。やるべきことは神と人との仲介者・神父が、全部やってくれます。PAPAにまかせときゃいいわけです。だから庶民は、時たま神父のところで「今日、豚のレバーより美味しいものが食べたかったという理由だけでガチョウに無理矢理ごはん詰め込んで太らせてフォアグラねらっちまいました。ごめんなさい」って言いさえすれば、あとはやりたいことができたわけです。だって人って、元来そういうダメダメなものなんだもん、そんな僕らのために神父様がいるんでしょ、ってわけです。神父様に身をまかせれば、すべてはうまくいきます。
それに対してプロテスタントとは、大変に厳しい宗教です。神父はいません。神と個人の一対一です。神に応えるために、自らを律しなければなりません。己の卑しき部分を悔い改め、己の努力で高みを目指すわけです。日々修行、な日常において、放蕩を尽くす文化は生まれません。
そういうことなんじゃないでしょうか。

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16. juli 2005

怒れる1インチ

昨日、お台場ZEPP TOKYOで、三上博史主演の『ヘドヴィグアンドアングリーインチ』を観てきました。
フヂマリが日本人俳優の中でかなり好きなのが三上博史で、前回の初演時から観たい観たいと思っていたのですがなかなかチケットが取れず、ようやく再演で夢が叶いました。
これは、東ドイツからアメリカに亡命するためにちんちんを切除し母親のパスポートを偽造した男の悲しい物語で、切除手術に失敗して1インチだけちんちんが残っちゃったために男にも女にもなれず、愛した男にヒかれ、その思いをロックにぶつけていくわけです。
三上博史の、ほぼ一人舞台で、ヘドヴィグのライブ、という設定で、隣のライブ会場でヘドヴィグが愛した男が皮肉にもライブをやっている、という舞台背景で、独白形式で進行します。
会場の9割が女性客。これはすべて三上博史のファン、ということなのだろうか。彼の歌唱シーンになるとオールスタンディングのマジライブ状態。
この芝居、もともとパルコ劇場でやっていて、今回初めてZEPPになったんだけど、あたしとしてはこの「ライブ会場」というものが、もんのすごく嫌いなので、公演前から心配していたのです。音楽は座ってききたいフヂマリにとって、立ち上がってきゃーっとなる、ライブ感は敵です。だからマンマミーアとかWE WILL ROCK YOUとかいうミュージカルは絶対に観に行かないだろうと思う。観客との一体感を「そういう形」で求めてくるのは嫌だし、あたしも求めていないのです。役者として魅了してくれ、って思う。客席のいじりかたのセンスがあたしと合わないんだろう。だから本当はZEPPじゃなくてパルコ劇場で観たかったんだ。あっちだったら建物自体が芝居小屋って感じだから、ZEPPみたいにライブー!ってならなかっただろう、と思って。
今回のお芝居で、しょっぱな1曲目からスタンディングだった時は、うっわあやべえ、あたし三上博史をおいて帰るかもしれない、と、ものすごく危惧しました。けれどそんなことはなかった。30歳くらいの熱狂的ファンたちがうざくはあったものの、三上博史は圧倒的に役者で、冷ややかな目で観ているフヂマリまでもちゃんと魅きつけてくれました。
彼のオネエ言葉は自然で、内股とか、ファッションとか、とてもよく馴染んでいました。出入りする客に「ちょっとぉ開演1時間よ、まだ、しょんべんなんか行かないでよっ」とかアドリブを入れまくっていたのも、三上博史ではなくヘドヴィグの言葉に、きちんとなってたし。なによりものすごい存在感。ものすごい感情の放出。それでいて観る者を悪い意味で疲れさせない、「押し」と「引き」の巧さ、この人はのりうつったように役に入ってるけど、必ず三上博史の役者視点を忘れないで持ってる、ってのを感じさせられる演技でした。ちゃんと計算してる。ラストへの絶頂させかたとか。
すげえ。
圧巻。
2時間半、おしりが痛くならなかった。
そうして観ながら、フヂマリはいろんなことを考えていました。
1.「チャンス!」とか「リップスティック」とか、いわゆる「トレンディードラマ」的なるものに出ている三上博史は、彼本来の望みで演技していたわけじゃなかったんじゃないか。寺山修司舞台で食えないから、仕方なくテレビの仕事も受けていたんじゃないか。そのくらい、舞台の彼とテレビの彼は違っていた。まあ、観た舞台がちょっと極端すぎるかもしれないけど、でも。オーラの放出度が違った。この人が本当にやりたいのは舞台だけなんじゃなかろうか。テレビでこの演技方法やるとキワモノになっちゃうからものすごく押さえてるんじゃなかろうか。
2.外専のゲイなんだそうだ、三上博史の口から「タチ」って言葉が出て爆笑。リアル感が出てます。えーっ、そ、それは専門用語では?理解しない客もいるのでは?それともファンはみんな知ってるってことなの?ちなみに三上はどっち?誘い受だといいなあ。
3.ヘドヴィグの「後ろからじゃなくて、正面から、あたしを愛して」という台詞の印象が強烈。うわあ、これ、フヂマリの萌えの1つですよ。「醜いオカマの純愛」。これ、家で映画観てるんだったら絶対一時停止して「うをー!!」って吠えたと思う。今まで1インチを見られたくなくて後背位しかしなくて、でも本気で好きになった人にはやっぱりセックスしながらキスされたい、あたしのすべてを愛してほしい、でも結局相手にドン引きされるって、すっげえ萌える。現実にちんちん取っちゃった人たちの股間って、どうなってるんだろうか。切除後は、醜い?1インチ残ってるのって、そんなに醜いのかなあ。なんかクリトリスみたいじゃないの?1インチじゃでかすぎるけど。そこさわったら気持ちいいのかなあ。性感帯はなくなってしまうのでしょうか。きれいに整形してくれるものなんじゃないんだろうか。取っちゃった人たちはそうやって悩んでいるんだろうか。見てみたい。ネットで画像探そうっと。SHE MALEと呼ばれる、ちんちんついたままでおっぱいつけた人たちの裸は見たことあるんだけどなあ。

いやあ、三上博史、すげえよ。
再演になるだけのことはあったよ。

折り込みチラシに毛皮族のが入ってたのもすげえよ。

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1. juli 2005

日記の意味

先日の日帳を書いていて、ふと思った。こういう時に、日記って意味があるんじゃないかと。つまり「98年頃、あたしどんなアニメ観てたっけ?」というのを知るのに、日記をめくれば、ってことだ。
フヂマリはわりと小さい頃から日記習慣と仲良くしてきた。夏休みの自由研究は毎年日記だった。植物の観察日記だったり、夏休み中のポラロイド写真付き食事日記だったり、読書日記だったり。
それがめんどくさくなってフヂマリ帳オフラインにつながる。
残念ながら、98年に読んだ本ならフヂマリ帳に書き留めてあるけれど、アニメはわからなかった。
日記は、毎日続ける文章修行のために書くのではない。将来読むために書くの。誰が読むって、あたしが。自分で。
文字にすることは残酷である。それは火事にでもならないかぎり自然消滅してくれないから。言葉や思念と全然違う。そこに綴られているのは、自分で思っている以上にイタい自分である。今、内省する以上にイタいのが事実なのだ。まざまざと見せつけられる。恋愛ネタとか、もう、そんじょそこらのオタンビ本なんかの比じゃない。発狂しない自分を呪いたいくらいだ。ああ、フヂマリの恋バナは10代で幕を閉じたよ、って感じる(おっかしいなあ、あの頃はケツの穴とかちんこちんことか叫ばなかったのになあ)。
そのイタさを他人事のように楽しむ、いや嘲笑するのがいいのよ。
日記をつけるなら、今からでも楽しいかもしれないけど、いや、やっぱり怖いものがない10代だな。厚顔無恥唯我独尊傍若無人。あたしだけ?それでもいいけど。この世はあたしのためにまわっている、と、無意識に、思っているところが最強だね。
あたしはまだ、10代の日記を直視できない。斜め読みしかできない。今の自分が「サムいなあこいつ」「イタいなあこいつ」と嫌う人間像が、そこにはある。
30歳になったら笑い飛ばせるんだろうか。
その日が楽しみ。

あたしにもし、子どもが生まれたら、「日記をつけなさい、今の自分の感情を正直に文字として綴るのよ」と耳元でささやいちゃる。
ひっひっひ。
日記は感情的に書けば書くほど、後で熟成されて面白くなる。

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1. juni 2005

Snakk om norsk godteri

me
わたしの仕事はある意味ガテン系なので、怪我はわりとしょっちゅうします。指切ったり、ぶつけたり。でも今日は今まででいちばんでかい怪我をしました。
一斗缶を開けようと、細いペンチのようなものでグッとやったら手がすべってペンチが目に!動物の反射神経というのはよくできたもので、身体を反らし目をつぶったおかげでまぶたを2センチくらい切っただけですみました。でもこの顔・・・。怖いよー。自分でも怖いよー。縫わないですんでよかった。

ああ、また違う話題から入ってしまった。
Snakk om norsk godteriなのだった。
「ノルウェーのお菓子について話そう」です。
もしノルウェーに行ったらぜひ食べてもらいたいものです。
fun
まずはこのFUN。ジュースです。9倍に薄めて飲みます。ノルウェーには、このての、濃縮ジュースが広く出まわっています。FUNはカロリーがほぼゼロです。味は5種類くらいあります。無難なのはピーチ、ブルーベリーなど。安くてたくさん飲めるので、日本でも売ってほしいものの1つです。
laban
LABAN「ラーバン」はグミです。「男」と「女」があります。これは女。女の形をしています。
oppai
ほらね。おっぱいが出てるでしょ。わかりますか?でも男バージョンは別にちんちんが生えてるわけでもなく。平らな胸の、ただの人です。なんでー。男女差別だ!つまんないの。

ヨーロッパのお菓子を食べていて思うのですが、
airwaves
これが食べられる人は、ヨーロッパ人なんじゃないでしょうか。その身体に流れる血のどこかに、大和ではないものが混じっているはずです。以前、半分スイス人の男の子にきいてみたら「俺、好きだよ」と言ってました。
ラクリス(リコリス)あるいはアニス、というハーブの味です。わたしは何回食べても好きになれません。食べられなくはないけれど。パクチーの比ではありません。パクチーは3回食べたら平気になったもん。
しかもこいつが塩味だったりします。飴とかグミのくせに。パッケージは黒です。ヨーロッパで黒いお菓子を見かけたら、それは80%の確率でラクリスです。ぜひ食べてみてください。そして自分の血のルーツを確認してみてください。

テレビや新聞が情報流通の主軸である以上、視覚で捕らえられる文化差はどんどん開けていくでしょうが、食に関する文化差は縮まりません。だからこそ面白い。だからこそフヂマリは外国行って日本食なんか食べている暇がない、と思うのです。同じヒトが食べているのに、こんなに違うなんて、これほど感動的に面白いことはありません。セックスだったらさあ、まあどの国の人も正常位、後背位でやるし、アナルセックスだってするじゃない。でも日本人はラクリス食べなかったりするじゃない。
三欲の中でいちばん文化を感じるのは食だ。

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28. april 2005

流行りものにのってみた

今日から日帳が変わります。
使いやすいかどうか試してみたいので、ブログ?っていうの?にしてみます。今イチだったら元に戻します。
過去の日帳はトップページからリンクを貼る予定です。

尼崎での列車事故は、各国でもかなり大きく取り上げられているみたいです。
フヂマリが読める範囲内で、ノルウェーのアフテンポステンでは速報扱いだったし、ニューヨークタイムズでは連日、事故の検証記事がかなり詳しく掲載されています。
「欧米では6分以内の遅れを『遅延』とは言わないが、日本では90秒の遅れすら『遅延』扱いである」というような記事がメインみたいです。日本社会の慣習とか文化とかから考えないと、理解しがたい事故なのでしょう。

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