2011.9.シンガポール
3連休で行くには、片道7時間は少し遠い。弾丸旅行だ。
仕事先からの利便性に負け、高くて遅い成田エクスプレスに、仕方なく乗ってしまった。
黒とグレーと赤の色づかい、角ばった内装、NEXは10年前に乗ったときよりもシャレオツになっていた。4ヶ国語の表示なんて、エヴァンゲリオンを彷彿とさせる。
それにしても、価格も所要時間もスカイライナーの1.5倍というNEXのメリットはいったい何なのだろう。同行のSと話しても結論は出ず。主要駅へ1本で行けるということくらいである。
今回利用する飛行機はシンガポール航空。サービスと安全性で評価の高い航空会社だ。以前、ロンドンへ行くのに利用したことがあるが、確かにいい印象だった。
今日の昼に、なんとそのシンガポール航空から電話があった。なんだなんだ欠航か、と思いつつ受けると、
「本日ご搭乗予定の飛行機が機材着遅れのため、2時間ほど遅延いたします」
とのことだった。
そんなことのために、搭乗客へいちいち電話を入れるのか、と、驚く。
わたしが代理店を通さずに直接予約しているから連絡がきたのかもしれないが、こんなのは初めてだった。まして今回搭乗するのは最新の巨大飛行機・エアバス380である。乗客は600人近いのではないか。1組ずつ連絡を入れると考えると、大変なお仕事だ。
座席はインターネット予約をした段階で決定しているし、オンラインチェックインで搭乗券も手元にあるので、昼の電話のとおり、遅く空港へ着いても問題はなかったのだが、わたしは空港自体が大好きだ! 2時間長くいることは苦でもなんでもないのだ。
バゲージドロップへ行くと、ミールクーポンを渡された。
「うわーい!」とはしゃぐNに、窓口のお姉さんは苦笑していた。
成田空港、シンガポール航空、遅延、といえば、わたしの脳裏を6年前の欠航がよぎるのだが、今回は無事飛び立つことができるだろうか。救いは、この同行メンバーで飛行機に乗る際、結構な確率で遅延とミールクーポンに遭遇するが、台風だろうが機材故障だろうが大雪だろうが、飛ばなかったことはない、ということである。
とにかく夕飯を食べよう。空港メシは、もちろんねぎとろ丼。わたしと空港の不文律だ。

ゲートへ行くと、ここにも菓子やジュースが用意されていた。太巻き寿司もある。仕出し用のプラスチックケースに、あんなに山盛りにバナナが入れられているのを初めて見た。偉いなあシンガポール航空、とつぶやきながら写真を撮る。
空港、ヒマ、このメンツ、といえば、これしかない。
「これだろ」
Nがかばんから素早く取り出す。
ボロボロのポケモントランプで大貧民大会である。
アラサー女4名が地べたに座ってカードを切る姿は異様としか言いようがなかろう。
窓から見える夜のエアバス380は、想像していたほどの大きさではなかったが、中はさすがに広々としていた。ビジネスクラスの座席が四角くてスタイリッシュ。ファーストクラスの個室は有名だが、シャワールームやマッサージセラピーもあるという。
我々は2階席。KLMなどと比べて、座席幅が少しだけ広い。
2時間半ほど遅れて、23:00 離陸。
シンガポール航空の機内食は悪くないイメージがある。
ただし空腹ではないので、シンガポールスリング(ジンとチェリーブランデー、パイナップルジュースでつくる赤いカクテル)だけもらう。
デザートは別にまた配られた。
ハーゲンダッツときたら、食後酒にベイリーズ(アイリッシュクリーム)をもらうしかない!
ハーゲンダッツのバニラにかけて食べると至福なのだ。飛行機の中でこれが食べられるとは思っていなかった。
明け方のシンガポール・チャンギ空港は、とにかくだだっぴろかった。
新しいターミナルだ。
入国審査場の前には熱帯イメージの広場。そう、ここは赤道直下である。
こんなにくだけた雰囲気の入国審査を、わたしは他国に知らない。
防護ガラスのない、背の低いカウンター、にこやかな役人、携帯電話を使うなとか撮影禁止とかいう標識も見えない。
飴までもらえるのだ。レモン味とミント味があります。「ごみはここに入れてね」と教えてくれます。こんな国が他にもあるのだろうか。
審査場に並ぶ列は、変な人たちばかりだった。
紫のヒョウ柄、赤と紺のグッズ、そうこれは、レッドブルチームではなかろうか。
ちょうど今日から日曜まで、F1のシンガポールグランプリが開催される。世界各国からサポーターがつめかけているのだ。
空港直結のホテルへ。
最近改築されたそうで、美しい部屋だった。
浴室なんてガラス張りだ。こんなオシャレホテルに5時間も滞在しないなんて、もったいないが仕方ない。
しばし仮眠をとり、カーテンを開けると管制塔が見えた。
10:00 チェックアウトし、タクシーで今回のメインイベント、マリーナベイサンズホテルへ向かう。
ソフトバンクのCMでSMAPが歩いていた屋上の巨大プールで有名なホテルに泊まるのだ。3棟の超高層ホテルの上に、船のような形をした全長150メートルのプールテラスが乗っかっている、異形ホテルである。
タクシー運転手のおじさんは「マリーナベイサンズにF1、最高だね!」と笑っていた。
彼によると、市街地の道路は今日から3日間、F1のためにかなりの交通規制が敷かれるらしい。
シンガポールグランプリは、夜間に市街地コースを走るという、世界唯一のF1大会だ。テストドライブから予選、本選と、3日間も首都のどまんなかの道路を封鎖するなどという、異常な大会である。
おじさん運転手は、
「15時以降はもうダメだよ、交通規制ばかりだ。どこかへ行くなら気をつけなね」
と言って、冗談めかして顔をしかめさせた。
この人がまた、完璧な「シングリッシュ」を話していて、わくわくする。
英国統治によって広まったクイーンズイングリッシュは、中華系によって変化し、独自の言語のような響きを持つに至った。これをシンガポール独自のイングリッシュ、という意味の「シングリッシュ」と呼ぶのは有名である。
発音は完全に中国語のようだし、不可疑問文を使わない
「You go MBS(マリーナベイサンズのこと), right?」
とか、謎の強調語尾がつく
「OK, lah!」
とか、本当に言うんだなあ、と感激しながら、おじさんの話をきいていた。
シンガポールの教育界全体としては、こういう正しくない英語をいやがり、正しいクイーンズイングリッシュの教育を進めようとしているけれど、シングリッシュを民俗性として認めるほうが良いのではないか、という意見ももちろんある。
わたしもシングリッシュが好きだ。言語というものはいかなる方向性であろうと常に変化していくものであり、それを進化と捉えるか退化と嘆くかは個人的嗜好の問題だと思うからだ。
わたしは、民族や時代、土地柄によって言葉が派生していくのを、とても面白いと感じる。日本語の「ら抜き言葉」やメールのギャル文字を日本語の退化とは、わたしは考えない。ただ、我が趣味にそぐわないだけである。使いたいと思わないけれど、楽しいなあ、面白いなあ、とは感じる。
使われていてこそ、言語は面白いのだ。
「マリーナベイサンズの、どのタワー?」
と、おじさん運転手はきいてきたが、わたしにはわからない。タワーごとに正面玄関があるのか、と驚いていると、
「じゃあとりあえず、タワー1につけとくね」
と、勝手に連れて行ってくれた。
近づけば近づくほど、すごいホテルである。
タクシーを降りると、すぐにポーターが近寄ってきて、慣れた手つきでバーコード付きのらゲージタグをつけた。
「チェックインの際に、こちらをお持ちください。チェックインは15時です」
そのまま中へは入らず、再びタクシーに乗り込む。
朝ごはんを食べに中華街のホーカーズへ。
ホーカーズというのは、屋内にある屋台フードコートのことだ。衛生観念や違法商売の取り締まりが厳しいシンガポールならではの「衛生的な」屋台街である。
中国寺院の目の前にある「マクスウェル・フードセンター」は、中でも有名。
プラスチックの皿や箸の管理まで、保健局のチェックがあるという。どこの店のものを食べてもおなかを壊しそうではないのが、観光客にはありがたい。
まだ昼には早いので、開いていない店もあったが、座席は7割ほど埋まっていた。このホーカーズは中華街にあるだけあり、中華料理の店が多かった。
有名なチキンライスの店に並ぶ。
チキンライスは、東南アジアに共通してある料理だ。中国の南方からベトナム、タイ、マレーシア、そしてここシンガポールで非常によく食べられている。
スライスした蒸し鶏と、鶏のだしで炊いたライスの盛り合わせで、中華系文化圏では唐辛子ソースをつけて食べる。「海南鶏飯(ハイナンジーファン)」と言う。
タイだと「カオマンガイ」、ベトナムだと「コムガー」と呼ばれ、ソースは味噌っぽいものが主流となる。
これがどこで食べてもうまいのだ! 半合ほどのごはんに150gくらいの鶏肉がついてシンガポールでも300円しない。わたしは前回、空港のちゃちいフードコートで食べて感激したのだった。
インターネットによると、この店のチキンライスは有名で、昼時には30分以上並ぶこともあるという。
比較のために、他の店でも同じものを買い、食べ比べてみる。値段はどちらも同じくらいだったが、やっぱりどうして、有名店のほうが格段にうまい。
他にワンタンや青菜炒めなども買ってくる。
豪華シーフードなど食べずとも、こういうものを毎日食べているだけで幸せになる。
大好きなパールティーの種類も豊富。梅味を買うと、しっかりすっぱしょっぱくておいしかった。
腹ごなしに周囲を歩く。
中華街らしい、赤い建物と、高層ビルとのコントラストが、いかにもシンガポール。
海南や福建など南中国からマレーシア、シンガポールへ移住してきた華僑のことを特に「プラナカン」という。先ほど食べた海南鶏飯もおそらくこの人たちが東南アジアへ広めたのでは、と思うのだが、このシンガポール独特の、植民地スタイルのようなパステルカラーの建物も、彼らの文化である。
ピンクやエメラルドグリーンなどを多用していて、とてもかわいらしい。
みやげものによくある鮮やかな布地や蝶模様、花の刺繍なども、プラナカンスタイルだ。「宇宙雑貨」などで取り扱っていそうな、キッチュな色遣いが美しい。
治安が良くて衛生的であることを褒める「FINE(良い)」と、ガムやたばこのポイ捨てなどへ課される数々の罰金(FINE)刑とをかけて、「FINE COUNTRY」などと呼ばれるシンガポールは、わたしの最初のイメージでは、生活感のない、「おきれいな」、つまり面白みもない国かと思っていたが、前回の訪問で印象がくつがえされた。
もちろん市民は生活していて、市場もある。魚介のにおいも、獣のにおいもする。
ふらりとのぞいた屋内市場は、ただし、虫1匹飛んでいないのだった。
シンガポールといって有名なものは、FINE COUNTRYの他にもある。
麻薬使用は初犯でも最高刑が死刑。これは外国人でも容赦がないため、欧米各国およびアムネスティは猛反発している。確か日本人にも服役者がいたと思う。
そして、独裁国家であることも忘れてはならない。
未だに一党独裁、表現の自由は厳しく規制されているため「成功した北朝鮮」などという表現がされる。
イギリス統治、マレーシア統治を経て、独立し、現在のように繁栄するためには独裁的である必要があったことを、多くのシンガポール国民は認めている。
独裁政権、権威主義的政治体制と、この繁栄と、チャンギ空港のオープンな入国審査と、「シンガポール」のイメージが1つにならず、なんだか面白いし変な感じがする。
マーライオンを目指して海のほうへ行こうとしていたら、ビジネス街に出た。
乱立するビルの谷間にあるのは、前回シンガポールへ来たときに入ったホーカーズだ。
昼ごはんを目指すビジネスマンたちで周囲はごったがえしていた。
「OLさんたちの服がかわいい!」
と、Sたちは盛り上がっていた。確かにみんなオシャレ。
湾岸部へ近づくにつれ現れたのは、F1の観客席を示す標識の数々。
海沿いの橋もコースに組み込まれているのだ。
警備員や警官が大勢いたが、マーライオンには近づけた。
世界三大がっかり、と呼ばれるマーライオンだが、期待をまったくしていなかったためか、別に落胆することはなかった。
むしろ思っていたより大きいし、水がジャージャー出ていた。
ちなみに「がっかり」の残り2つは、ベルギー・ブリュッセルの小便小僧とデンマーク・コペンハーゲンの人魚姫像だそうだ。わたしはこれで3つを制覇したことになる。別にどれも、想像以上でも以下でもなかった。そういうものを見たくて旅する性格ではないのだ。
マーライオンの向かい側に見えるのが、本日宿泊するマリーナベイサンズホテルである。
何度見ても異形だ。
さあ、チェックインしに行こう。
マリーナベイサンズの向かい側には、巨大ショッピングモールがある。ここからはホテルへも、つながっている。
水路もあり、ゴンドラではないけれど船頭のいる手こぎ船に乗れたり、
シャレオツピザ屋にアイススケートリンクまであったりするものの、シャネルもグッチもジムトンプソンも、わたしの買い物の範疇にはなく、楽しいショッピング祭りにはならなかった。
いざ、ホテルへ。
三角錐のような不思議な形のタワーは、横に3つともつながっている。
そして吹き抜け!
混雑時だと1時間待ち、と言われていたが、全然そんなことはなかった。
並んでいると薔薇の花とロゼシャンパンが振舞われる。
部屋は市街地側と海側と、1部屋ずつだった。こちらは市街地側。マーライオンも見える。
いちばん安い部屋でも、ダブルベッド2つの広々とした客室だった。ゆったりしていて快適。床までの窓も良い。
お風呂の形もかわいらしい。
浴槽、シャワールーム、トイレは別になっていて、いずれも広い。
シンガポールの最高級ホテル、ラッフルズには及ばないかもしれないけれど、せせこましくなくていい雰囲気の客室だ。
とにかく水着に着替え、屋上テラスへ行ってみよう。
47階のテラスへは宿泊客なら無料で行ける。そして巨大プールは宿泊客しか入れない。
見学の人もいたけれど、このプールに入れないのなら、金を払ってここへ上がる意味はないと思う。
いまやシンガポールの新名所となったホテルの名物プールは、期待と想像を超えていた。
こうやって写真に撮ると本当に、水がビルから流れ落ちているように見える。
少し曇っていたけれど、寒くて入れないほどではなかった。
人はいっぱいいたが、サンデッキが足りないほどではない。
すごーい! すごーい!! と言いながらビルを見渡す。本当に素晴らしかった。
警備もよくされているし、スタッフは親切。
今回、F1大会中の高い時期で、税金を含め1人1泊23,000円ほど。払う価値は大いにある。
18:00 「チリクラブ」というカニ料理で有名な「JUMBO」という店で夕飯。ホテルから近いリバーサイド店を予約したのだ。
この時間ですでに、予約していない客は待っていた。
通されたのはテラス席。夕方で、暑くも寒くもなく、気持ち良い風が吹いていた。タイガービールを呑みながらメニューを検討。海の方からはレーシングカーのエンジン音がすでにきこえてくる。F1って、こんなにすごい音がするのか!
空心菜の炒めものは「鉄板」というやつである。
中華料理における青菜の油炒めは、世界中でいちばん美しくておいしい料理の1つだ。たった1つの食材を、少ない調味料で一瞬にして仕上げるなんて、フランス料理のはるか上をいく。
「何か海老料理を」
と給仕のお姉さんに伝えると、
「では、ぜひいちばんのおすすめを試していただきたいですね」
と教えてくれたのが、これ。
下味をつけて殻ごと素揚げした海老に、甘くて塩味の、砕いたオーツ麦のシリアル、カレーリーフ(カレーのような香りのする葉っぱのハーブ)、ほんの少しの唐辛子を混ぜたものがまぶされている。
このシリアルの食感と香り、バリバリの海老の食感、そして甘さとしょっぱさのバランスが素晴らしかった。我が人生で1、2を争う海老料理の傑作である。うめー!
「かぼちゃ豆腐のきのこあんかけ」、この、見た目は皮がついたままのかぼちゃで、けれども触感は豆腐、という不思議な料理は、いったいどうやってつくるのだろう。
そしてもちろん、おまちかねの「チリクラブ」である。
ソフトシェルクラブ(殻のやわらかい蟹)の仲間を蒸して、別につくってある甘辛い卵入りあんで軽く煮たもの。シンガポール料理の1つだそうだ。
ソフトシェルクラブだけれど、この殻は食べられない。
エプロンを首に巻かれ、フィンガーボールとお手ふきをもらい、黙々と殻をむく。
大きい蟹ではないので、ハイリスクローリターンである。
蟹の味よりもわたしは、まわりのソースが絶品だと思う。実際、店ではレトルトパウチされたソースだけを売っていた。
このソースを、
こういう揚げパンにつけて食べる。
ちっこくて、すべすべした表面の、この揚げパンがまた絶品なのだった。
いったいどうやってつくっているのか、外はさっくりと軽く、中は繊細なふっくら加減。追加でもう一度、揚げパンだけを注文したくらい、素晴らしくおいしい。
蟹本体はどうでもよくなってくる。このソースと揚げパンを食べるためだけに、この店を訪れる価値がある。
今回の旅ではここでしかチリクラブを食べなかったが、どこで食べてもこんなにおいしくて、こういう揚げパンがついてくるのだろうか。
大満足して、タクシーを拾う。
街中が大渋滞だ。エンジン爆音もきこえる。
「ったく、こっちは大迷惑なんだよ」
と、今度の運転手は本気で怒っていた。
「F1ですか?」
「そうだよ、やってられんよ、3日間もだぜ?」
「街のどこにいても、こんなにエンジン音がするとは知りませんでした」
「音はうるせえ、道はめちゃくちゃ、ひどいだろ?」
メーターが上がりやすくていいじゃないか、と思ったのだが、彼はどうやら走りやすさを求めているようだった。
F1のテストドライブだか予選だかをプールから見たい、と思い立ち、再び屋上テラスへ。
夜のプールは昼のプールの倍くらいきれいだった。
これはすごい!
宝石箱や……摩天楼や……100万ドルの夜景や……と、関西人でもないのに心でつぶやく。
レースコースもちゃんと見える。小さいF1カーが爆音を上げて走っているのが見える。きこえる。夜間コースは昼間と同等の明るさになるように照明がつけられるのだが、それがまぶしいくらいに光っていた。
少し寒い。
部屋に戻り、ルームサービスでカクテルを注文する。サラダやピザ、鶏のサテ(甘辛ダレの焼き鳥)も頼む。
白いクロスを敷いたテーブルは、中に保温器がついていて、あたたかいものはあつあつで、冷たいものはきちんと冷たい。かっちょいい。
カクテルも、グラデーションを保ったまま運ばれてきた。給仕のお兄さんの愛想も、味も悪くない。
こういうのをやってみたかったのだ! いつも我々の旅は最安ランクの宿に泊まるようなものばかりである。たまにはこういうのも良かろう。
「女子旅、って感じだよねー」
とはしゃぐKの言葉が、わたしたちのこれまでの旅を物語っている。
窓から生でF1を眺め、テレビで生中継の小林可夢偉スピンを見ながら酒を呑む。分不相応な気がする自分がかわいそうだ。
朝、海側の部屋からは、建設中の公園のようなものと、大量のタンカーが見えた。
こんなにたくさんの停泊中タンカーを見たのは初めてだ。巨大な船ばかり見える。
シンガポールでは日本の食品企業が奮闘している。中でも明治乳業とヤクルトはよく見かける。
昨日買った3色ヤクルトを回し飲みする。
左から青リンゴ、プレーン、オレンジ、プレーン、ぶどう、である。容量は日本の3割増しくらいあって、甘い。そしてぶどうの色の異常さが際立つ。味は、日本でなぜプレーンしか売られていないかがよくわかる、というものである。
チェックアウトし、タクシーで本日の宿泊ホテル、シャングリラホテルへ向かう。
「シャングリラホテルまで」
と運転手のお兄さんに言うと、
「なんで? マリーナベイサンズは良くなかったの?」
と逆にきき返された。
「素晴らしかったけれど、シャングリラホテルも有名だし、別のところに泊まってみたかったから」
と答えると、強い勢いでさらに言われた。
「だめだめ、シャングリラは歴史だけだよ、場所も建物も古くさいよ。マリーナベイサンズのほうがずっと良いよ」
着く前からがっかりするようなことを言われてしまった。
そう、それはわかっていたのだ。ただし、それをふまえてでも、世界的高級ホテルチェーンとなったシャングリラホテルの1号店、シンガポールシャングリラに泊まってみたかったのである。
広大な敷地面積を誇るシャングリラを見てみたかったのだ。
シャングリラホテルは海から離れた丘の上にある。マリーナベイサンズからは車で15分ほどだった。
昨日と同じく荷物だけ預け、ショッピングのメインストリート、オーチャードロードへ。
土曜日ということもあってか、街は賑わっていた。
大通りにはデパートやショッピングモールが並んでいる。
高校時代はF1好きで、深夜のフジテレビをよく見ていたのだが、この10年はすっかり忘れていた。
それでも実物マシンを見ると興奮する。こちらはわたしのちょっとだけ贔屓にしているドライバーが今季所属しているチーム、フォースインディア。
「ニコ」ことニコラス・ヒュルケンベルクさんは今季の契約でリザーブドライバーとなってしまった青年である。かわいいなあ。
腹が減ったので、シャレオツファッションビルの最上階にあるフードコートへ。
オシャレ風だが、味は悪くなかった。
フードコートやホーカーズがおいしい、というのはアジアに共通する素晴らしい食文化である。どこでも安くてうまいものが食べられるというのは、欧米ではありえないことだ。
ここでも昨日と同じく海南鶏飯を注文する。今朝は焼いた鶏と蒸した鶏が半分ずつ選べた。
まずくはなかったけれど、やはり昨日の店がいかに名店だったか思い知らされる。「旨味」の含有量が違う。
屋台のセブンイレブンを初めて見た。
靴屋をのぞいたり、スーパーマーケットを目指して歩き回るうちにまた空腹となったが、今日はこれからメインイベントが控えているので、しっかりと食べるわけにはいかない。
そこで、通りかかった小さなフードコートで、シンガポール名物のおやつを食べる。
タピオカにマンゴーかき氷、そしてアイスカチャンである。
アイスカチャンはシンガポールのかき氷。練乳で和えた缶詰のコーンが山盛りになっているのが最大の特徴だ。シロップに色はついているものの、味はすべて同じ、黒糖のような砂糖の味。中には小豆や餅のようなものも埋められている。
このアイスカチャン、すべてがとうもろこしの味に侵食されていて、前回来たときに食べて衝撃を受けたのだった。
今回も皆で「ありえねー」と言いながら食べ始めたものの、2/3がなくなる頃にはNが、
「これ……なんかとうもろこしの味を求める気持ちになってきたわ。かき氷にとうもろこし、合う気がしてくるわ」
とカミングアウトするまでになっていた。恐るべし、缶詰コーンの威力。
このフードコートはマレー系とインド系の食事が充実していた。どこでも、誰でも、食べているものがおいしそうだった。
タクシーでホテルへ戻り、チェックインする。
大ホテルのわりにレセプションが慣れておらず、ちんたらと手続きをしていた。
客室は清潔だが古い。マリーナベイサンズのほうがずっと広かった。だいたい同額だと考えると、確かにマリーナベイサンズの圧勝か。
一張羅に着替え、本日のメインイベント、ラッフルズホテルのハイティーへ向かう。
シンガポールで最も歴史があり高級なホテル、ラッフルズ。宿泊したくても手が出なかったので、今回はハイティーだけでも、と思い、ずいぶん前から予約をした。
15:30からのハイティーは、英国式ではなく、シンガポール風である。
コロニアルの建物は相変わらず美しい。
時間ぴったりに行くと、予約客がもうすでに列をつくっていた。日本人ばかりではなく、世界各国の観光客がいた。
ティフィンルームでのハイティーは憧れだった。
ホテル内には宿泊客しか入ることができないが、ここからなら内部をちらりとのぞくことはできる。
まず供されるのが3段トレイ。
下から、ハム・卵・ツナときゅうり・サーモンのサンドイッチ、チョコレートマフィン、レモンケーキ、いちごのタルトにマドレーヌ、そしてチョコレートガナッシュ。
イングリッシュスコーンはあたたかいものが、別の場所に用意されている。
このトレイのお菓子も、なくなれば「もっと召し上がりませんか?」と声をかけられる。
紅茶とコーヒーはそれぞれ一種類ずつしかないのが、他のホテルのアフタヌーンティーやハイティーに劣る点だろう。シャングリラホテルのアフタヌーンティーは100種類以上の茶葉が選べるらしい。
ラッフルズホテルといえば、もちろんシンガポールスリングを。
「シャンパンで乾杯されては?」
とも勧められたけれど、やっぱり観光客としてはこちらでしょう。
アルコールが入っていないものもある。
シンガポール式ハイティーは、ビュッフェ形式。
しょっぱい食べものがあるのも特徴。甘いものをたくさんは欲しくないわたしも楽しめる。
ラッフルズは飲茶だったが、他のカフェではカレーだったり、サテやゴレンなどのマレー風だったりするという。
中華・インド・マレー、は、シンガポールの最大民族であり、代表料理である。
どれもきれいにつくられているが、ただ1つ問題点は果物がことごとくまずかったことである。
「南国フルーツフェア」と銘打っていたにも関わらず、パイナップルはかたい、すいかは甘くない、というありさまだった。南国なのに果物がおいしくないのはなぜだったのだろう。
夜はナイトサファリへ。
タクシーとほとんど値段の変わらないというリムジンで向かう。
ジャガーの女性運転手は、
「サファリの帰りはタクシーがつかまらないから、リムジンの迎えを頼んだほうがいいですよ。500ドル(3000円)で待っていますよ」
と言ったが、わたしは内心「うっそだー!」とつっこみを入れていた。
500ドルなんて誰が出すものか。
「うーん、たぶん大丈夫だと思うから、待っていてもらわなくていいです」
と言うと、それほどしつこくは引き下がってこなかった。
ホテルから20分ほど、高速道路を飛ばすと到着。
巡回トレインに乗って園内を1周した後、徒歩コースへ行った同行者をフードコートで待つ。
よくできている動物園だが、あいにく人間以外の動物には興味がない。
ビールとテ・タリク(シンガポール風ミルクティー)を注文する。
テ・タリクは中国茶葉で淹れる練乳ミルクティーだ。スーパーマーケットではインスタントの粉末も売っている。
何度もポットとグラスに入れたり戻したりする作法があるのは知っていたが、まさかこんなアミューズメントパークのいい加減なドリンクコーナーでも作法どおりに淹れるとは思わなかった。
高い飲みものでもないのに、お兄さんは手抜きしなかった。
最終的には大ジョッキでテ・タリクが現れた。
練乳が甘くて、冷たくて、おいしい。
試しに頼んでみた料理はテーマパークの味。つまり最強にまずいということである。
中華でもこんなにまずくできるんだ、と、別の意味で感激した。
ごはんは5分で炊けるインスタントジャスミンライス、「チキンライス」なのにスープで炊いていない。
メインのチキンも、味が薄くて、ニセモノの照りがつけられていて、完全にレトルトだった。
街で食べる2倍くらいの価格なのにひどい。
帰り道、もちろんタクシーは山ほど待っていた。
ホテルへ戻り、最上階のバーで「女子旅」的カクテルを呑む。
たまにこれをやるのは物珍しさで楽しいのだが、心からこういうものを望まないのが、わたしの旅である。
朝起きると、扉の前に日経新聞が届いていた。すごい、日本人滞在客の部屋にはちゃんと日本語の新聞が来るのだ。こういうことに驚いているとおり、わたしは高級ホテルに宿泊した経験が乏しい。
8:30 世界最大の観覧車「シンガポール・フライヤー」に乗ろうと向かう。
街中に張り巡らされているF1コースはフェンスで頑丈にカバーされていて、まるで何かの事故現場のようだ。朝から大勢の警備員がいる。
観覧車はコース内なので、F1のパスを持っていないと入れなかった。早起きして行ったのに、とても残念。
腹いせに、中華街のホーカーズへ再び行く。
今朝は、これまた有名だという粥屋に並ぶ。
他の店と比べると、たしかにだしの味がいいが、しかししょせんは粥。つまりまずいものはめったにない、ということである。
中国粥は糊のように、米の粒が残っていない、のっぺりとしているほうが良しとされる。味も塩味だけでなく鶏がらなどのだしが効いていてとてもおいしい。ぐちゃぐちゃべっちょりした食べものを好物とするわたしは大好きなのだが、しかしながらわたしは、ほうじ茶で炊いた、米粒感の残る、和歌山などの茶粥が、「米粥」という料理の中でいちばんおいしいと思う。茶粥に塩昆布もしくは梅干しあるいはちりめん山椒、これこそ粥だと主張したい。鶏などの強い旨味はないものの凛としている。侘び寂びとはこのことである。
わたしはラクサ(シンガポール風のココナッツミルク入りラーメン)と、
「キャロットケーキ」という、大根餅と卵の炒め物を食べる。これがうまかった! 現地のタクシー運転手が、
「今日も来たよ!」
と言いながら買っていた、その後ろについて正解だった。
帰りの飛行機までまだ時間があるので、インド人街へ行ってみる。
10月にヒンドゥー教のお祭りがあるということで、街は飾りつけされていた。
街の建物はプラナカン風なのにインド人街、というのが面白い。
インド人街には、24時間やっているゴッチャゴチャのデパート「ムスタファセンター」がある。食材から薬品、貴金属、家電、と、大して広くない店内に入るだけ詰め込まれている様子は必見である。
昨日、オーチャードロードなんかで時間をつぶさずに、ここへ来れば良かった、と悔やまれる品ぞろえだった。何時間でも、1つずつ商品を手に取って見ていたい。
インドはすごい! 殊に食品売り場は圧巻だ。
世界の香辛料の何割をインドが独占していることか。この情勢は300年前から変わらないのだ。
種類に圧倒される。全部持って帰りたい。
ヨーグルトと混ぜて鶏肉の下味にする「タンドリーチキンパウダー」と、「ガラムマサラ」の箱だけを買い、後ろ髪を引かれる思いでホテルへ戻り、荷造り、空港へ。
この旅で結局、タクシー以外の乗りものに乗らなかった。なんとゴージャス!
チャンギ空港第3ターミナルは広大だ。向こうの端が霞んで見える。
チェックインはするりと終わったので地下のショッピング街を見に行く。
そう、空港の地下にショッピングアーケードがあるのだ。
そして、
ばかでかいフードコートもあるのだ! 昼時ということもあり、大にぎわいだった。
なんという空港だろう。早めに来て良かった。
食べてみたかったカヤトーストの有名店があったので、わたしはもちろんこれと、テ・タリクを。
カヤトーストもシンガポールの伝統食だろう。ごく薄い食パンに、スライスチーズのようなバターと、乳や卵でつくった「カヤジャム」というミルクジャムのようなものを塗った料理で、シンガポールの定番朝食だという。
これがまた、どこで食べてもうまい。さくさくの食感と、バターの塩味と、カヤジャムのやわらかい甘さがやみつきになる。脂肪分のかたまりのような食べものだが、やめられない。
結局この後、搭乗口付近のカフェスタンドでもカヤトーストを購入してほおばったくらいである。どの店でも、つくり置きせず、注文が入ってからトーストし、ジャムとバターをはさむのが偉い。
Sは手羽肉のカレーを食べていた。
民族の数だけ料理がある国は最高だ。
世の中には「平和だ」と感じる物事がいろいろあるけれど、食の多様性もその大きな一要因である。多民族であることを「統一」しなくても平和であることは可能なのだ。中華人民共和国はこの点から目をそらしてはいけない。「統一」ではなく「共存」という言葉もあるのだという事実を見て見ぬふりしてはいけない……などと途方もないことまで考える。
日本人ならば、この看板を写真に撮らずにはいられないはずだ!
余ったシンガポールドルを再両替する。
普通、外貨両替は紙幣だけなのに、
「あと日本円で800円あったら、1万円ぴったりにできますよ」
と言われた。
日本円硬貨と混ぜて両替できたのだ。窓口のお姉さんは外国硬貨にまで精通しているというのか。わたしの渡した硬貨が韓国の500ウォンだったら判別できるのだろうか。
飛行機はほぼ定刻で離陸した。
離陸と同時に救急用酸素マスクが出てきた機内。
お客様の顔に当たらぬよう、ガムテープでたばねられ、平然と通常業務を行うパーサー。見て見ぬふりをする群集心理がおかしくて仕方ない。
機内食は和食の魚料理と洋食の鶏肉だった。
和食は冷菜が酢味噌和え、主菜が赤味噌かけ、というハイレベル日本食。エコノミークラスの機内食で前菜も和食と洋食で違う、というのは偉い。さらに、洋食のクラッカーの代わりに、和食に「おばあちゃんのぽたぽた焼き」が添えられている、そのセンスに脱帽する。
01:30に自宅へ戻り、翌日出勤するというのはちと厳しいが、それでも旅はやめられない。わずかな金と時間さえあればどこへでも行くのだ。

























